木もれ陽ベンチ

神奈川県川崎市在住の70代後半男性。栃木県那須町の高齢者住宅「ゆいま~る那須」を契約。90代後半の母の介護があり完全移住ではありません。現在は別荘気分で使用しています。

2020-01-01から1年間の記事一覧

【第38回 ままならぬインプラント治療】

■2つの問題点 前回記した通り、歯科医院へインプラントの相談に行ってきました。そこは15年以上も通院していて、とても丁寧で技術力もあると信頼しているところです。いよいよインプラント治療が始まるのかと期待して行きました。 ところが話を聞いてみると…

【第37回】歯科インプラントを考えています

■インプラント治療 新型コロナウイルス感染が収まりません。寒くなるほど感染力が強くなると言われ益々心配です。今年はコロナのために、計画していたのをやれなかったことが多かったのではないでしょうか。私は歯科通院が出来ませんでした。 実は、私は左右…

【第36回】映画「瞽女GOZE」を観て

■この映画に寄せる監督の思い このブログの30回目で、映画『瞽女GOZE』(瀧澤正治監督)のことを記しました。盲目の女旅芸人である、最後の瞽女と言われた新潟県三条市出身の故小林ハルさんの生涯を描いたものです。折りも折り、NHKラジオ深夜便の…

【第35回】樋口恵子さんの「老~い、どん!」

■私も仲間入り 翌12月になると私は73歳になります。後期高齢者と呼ばれるのも間もなくでしょう。あれは中学生の遠足の時でした。バスガイドさんが何かの話から、「皆さんは幾つくらいまで生きたいですか?」と問いかけました。私は「70歳」と答えたの…

【第34回】もうひとつの「エール」

■川崎が生んだ作詞家 只今NHK朝ドラの「エール」が好評です。私も古関裕而の歌謡曲が好きです。同郷福島県というのも影響しているのかも知れません。面白いもので、生まれ故郷が同じだったり、住んでいるところが近かったりすると、それだけで何か懐かし…

【第33回】 1個のチューリップハットから

■星野富弘さんの〈生きる意欲〉 このブログの第11回目で星野富弘さんの詩画展を見に行ったことを綴りました。星野さんは大学を卒業して、中学校体育教師として赴任したばかりの24歳の時、体操クラブ活動の指導中に頸椎損傷という大怪我をしてしまいまし…

【第32回】続けたいスナック通い

■ユーチューブの歌唱をなぞって 私は昼食を済ませると、特に用事がない時は30分間ほどパソコンに向かいます。食休みを兼ねて、ユーチューブで歌謡曲を聞くのです。唯聞くだけではありません。歌手の歌唱に合わせ、自分も一緒に歌います。なので歌詞の字幕…

【第31回】母のルーティン

■94歳を迎えた母 私の母は先月の18日に94歳になりました。70歳半ばから足が弱くなっており、歩くことが不自由です。家の中に独りでいるのを不安がり、誰かが傍に居なければなりません。通常は私が見ています。母は日中の大半はベッドで横になってい…

【第30回】観たい映画『瞽女GOZE』

■迷ったゆいま~る那須行き 今夏、私は8月8日~13日までゆいま~る那須に滞在しました。新型コロナウイルスの影響で、多くの方が盆帰省や旅行を諦めた夏でした。私も当初は迷いました。ゆいま~る那須へは、特に行かなければならないという理由はありま…

【第29回】100分de名著「夜と霧」を見て 

■すべてボランティアの力で ゆいま~る那須の近く、福島県白河市白坂にアウシュヴィッツ平和博物館があります。ナチス強制収容所は何カ所かあり、計800万人ものユダヤ人が殺されたとも言われています。アウシュヴィッツ強制収容所はその中のひとつです。飢え…

【第28回】 “ちょっと”から始まる相互扶助

■電気冷蔵庫のなかった頃は 向う三軒両隣りとは、隣近所の付き合いの大切さを言ったものですね。昭和30年、私が小学2年生の時、わが家はこの川崎へ引っ越してきました。65年間も同じ地に住んでいることになります。それ故、隣近所との付き合いも長いで…

【第27回】朝日医師の「最後に一番大切なもの」

■言行一致の人 私がゆいまーる那須への入居を決めた理由のひとつは、その設立構想に完成期医療福祉という考えがあるからでした。人間は必ず死ぬ。しかし、死を終わりと思うのでなく、人生の完成と捉える考え方です。できれば自分らしく悔いのない最期であり…

【第26回】 写真の整理

写真が貴重だった頃 新型コロナウイルスによる外出自粛要請の間、自宅で出来ることとして、長い間放っておいたものを整理してみたら、思いの他良かったいう声を聞きます。そこで今回は写真の整理について、私の行ったやり方を述べたいと思います。 72年間も…

【第25回】「内観」の思い出

■悩んで「内観」に出合う 新型コロナウイルスによる緊急事態宣言も解除され、少しずつ日常生活が戻ってきました。ともかく、出来るだけ人に近づくな、離れていなさいという通達は異様でした。ちょっと店員さんに声をかけるのも、マスクをしての透明ビニール…

【第24回】私の好きな作家・遠藤周作

■「洋服」を「和服」に仕立て直す 前回はゆいま~る那須の図書室を紹介しました。居住者が提供した沢山の書物が並んでいます。それら背表紙に刻まれたタイトルを眺めているだけでも、どんな作品かと想像して楽しくなります。そこで今回は、私の好きな作家・…

【第23回】ゆいま~る那須の図書室を想う

緊急事態宣言発令で公共図書館も閉鎖 例年ですと、この5月の連休にはゆいま~る那須で過ごすのが、私の定番でした。93歳の母は、要介護2で足が弱いこともあり、常に誰かが傍にいないと不安がります。なので平日は私が家におります。会社勤めの弟が連休にな…

【第22回】 牡丹の花

■叔父の葬式で福島へ 前回のブログで、先月初旬に私の母が10日間ほど入院したことを書きました。実はその間に、福島県郡山市に住んでいた、母の弟(私にとっては叔父)が亡くなったのです。長らく肺がんを治療していましたが、他臓器に転移していたのです。そ…

【第21回】 母を元気づけたワカメと日記メモ

■母が救急車で運ばれた! 何度聞いてもあのサイレンは嫌な音です。胸が締め付けられます。だんだんわが家に近づいてきます。嫌な音だけれど、来てくれてホッとします。そう救急車です。先月5日、母親が苦しみ出して、救急車に来てもらいました。 数日前から…

【第20回】17年目の春節会

■ハローワークでの教育訓練 今から17年前55歳の時、長年勤めていた靴メーカーを退職した私は、ハローワークでの教育訓練を受講しました。パソコン講座です。ちょうどWinXPが出回った頃でした。ワードやエクセル、パワーポイント、メール、インターネッ…

【第19回】父の13回忌法要

■後継ぎでなかった父 私の父は平成20年3月に89歳で亡くなりました。87歳の時に直腸がんの手術をしましたが、その後2年間は元気に過ごすことが出来ました。亡くなる前の2カ月間は緩和ケア病棟のお世話になりました。ガンが再発していたのです。しかし緩和…

【第18回】ミニバイクの思い出

■いたずらに乗ってみたら… 私は小さい頃から近眼で、小学5年生の時には眼鏡をかけていました。長ずるにつれ近眼の度はますます強くなっていきました。勉強もせず、ぐうたらな毎日を送っていたにも拘らずです。いわゆる生まれつきのど近眼なのでした。そして…

【第17回】 ベトナムから来た店員さん

■行きつけのラーメン店で働くベトナム人 第8回目のブログで、私が行きつけのラーメン店のことを書きました。その店には支店が何軒かあります。店の方針なのかも知れませんが、同じ店員さんが長く居ることはなく、1年くらいで若い新人に変わります(責任者は…

【第16回】 ゆいま~る那須で過ごした、令和初の年末年始

■車窓の景色を眺めながら 12月30日から1月3日まで「ゆいま~る那須」に行ってきました。例年だとこの時期には長靴を履いて行くのですが、今回はその必要はありませんでした。週間天気予報の中に雪の心配は全くなかったからです(本当に雪の少ないお正月です…

【第15回】 今年の干支 ネズミへのお願い

今年はネズミ年ですね。童話や昔話などでは、ネズミは愛らしい動物として描かれていることが多いようです。小柄で愛嬌があり、ちょっとイタズラ好きの子沢山というイメージでしょうか。 本来なら、年頭のお目出たい時に、ネズミに関する楽しいエピソードのひ…