木もれ陽ベンチ

神奈川県川崎市在住の70代後半男性。栃木県那須町の高齢者住宅「ゆいま~る那須」を契約。90代後半の母の介護があり完全移住ではありません。現在は別荘気分で使用しています。

【第26回】 写真の整理

写真が貴重だった頃

 新型コロナウイルスによる外出自粛要請の間、自宅で出来ることとして、長い間放っておいたものを整理してみたら、思いの他良かったいう声を聞きます。そこで今回は写真の整理について、私の行ったやり方を述べたいと思います。

 72年間も生きていると、写真のアルバムもかなりの数になります。写真はいいですね。ひと目見ただけで当時のことが蘇ります。自分の人生の一コマが写っています。現在はスマホがあり、無造作と言っていいほど頻繁に写真が撮れます。そして気に入らなければ消して、何回も撮り直しが出来ます。

 私が若い頃はフィルム写真の時代でした。撮ったはいいが、果たしてちゃんと写っていたかは、現像してみなければ分かりません。それだけにシャッターを切る時は集中しました。また撮られる方も、そうした機会を大事にしました。1枚の写真に思い出が詰まっています。

 それだけに、昔撮った写真はできるだけ残しておきたいです。しかし私が死ねば、それはただの紙クズにしか過ぎません。自分以外には誰も興味がないのです。頭のハッキリしている今の内に、自分にとって大切な写真はどれかを確認し、整理しておこうと思いました。そして時折眺めたいのです。

 

重くてかさ張る昔のアルバム

 写真整理でよく勧められる方法に、スキャナーに取り込んで、パソコンなどに画像として残すやり方があります。場所も取らないし、劣化しない、画像修正ができる等という利点があります。

 しかし私は、写真紙の素材そのもので残したいのです。本にも電子書籍がありますが、私はやはり紙の本がいいのと同じです。その手触り、ページをめくる時の音、古くなった本そのものの匂い。そうしたものを味わいたいのと同じ気持ちです。

 写真の縁が少し擦れたり、シワになっていたり、照明が悪くて写りが暗いものでも、当時のままの写真を見たいのです。言うところのアナログ人間なのです。

 

 写真を整理しようと思い、改めてアルバムを見て気づいたことは、アルバム本体は物理的に体積があるということです。昔のアルバムは見栄えを良くするためか、特にそうです。平均的なもので縦35㎝、横30㎝、幅4㎝ほどあります。表紙も台紙も厚いです。特に表紙は分厚いです。

 表紙はちょうど絵画における額縁のような役目をしているようです。表紙を豪華に仕立てることで、アルバム自体が立派に見えます。そして肝心の写真そのものは、分厚い1冊のアルバムに何十枚も貼れていません。これではかさ張る筈です。大げさに言えば場所を取ります。そして重いです。寝っ転がって気軽に眺めることなど出来ません。

 

 そこで考えたのは、この大きなアルバムから小さなアルバム帳に、写真を差し替えることでした。要は大げさな入れ物は不用ということです。

 フィルム写真だった頃は、現像や焼き増しを写真店に依頼しました。出来上がると薄いアルバム冊子を添えてくれたものです。小サイズながら無駄がなく、かなりの枚数が収納できました。それと似たようなもので、もう少し体裁が良く丈夫なものはないかと探しました。

 ありました。小判形(縦20㎝、横16㎝、幅2㎝)ながら、1冊に96枚ほどの写真が入ります。それを何冊か買いました。大きなアルバムから残したい写真を選び、それに差し替えました。本当にかさ張らなくなりました。何よりも軽くて手に取りやすいのが利点です。

 どんな写真を残すかは、今の時点ではそれほど拘りませんでした。迷ったものは取り敢えず残しました。そして少し時間を置いて、再度眺める中で選択してみようと思います。小判形なので取り外すのも簡単です。

 

 ただ困ったのは学校の卒業アルバムでした。卒業するときに、記念として学校から渡されたそれは、台紙そのものに印刷されていて、写真を剥がして差し替えるということができません。小中学校のものはまだ中型で薄いので、そのまま保管しておいてもかさ張りません。

 問題は高校卒業のものでした。やたらと大きくて分厚いのです。手に持つとずっしりと重いです。このアルバムの中身が全部自分にとって大切なものであれば、そのまま保管しておいてもいいでしょう。

 私は昭和22年生まれ、いわゆる団塊世代のはしりなのです。従って学校のクラス数も大変なものでした。私のいた高校の商業科は1学年でひとクラス60人程が7組ありました。その上に普通科が4組ありました。単純計算で1学年だけで660人在籍していたことになります。

 その11組の記念写真が卒業アルバムに載っているわけです。顔さえ知らない生徒も随分います。私が残しておきたい写真は、所属していたクラス仲間や先生の顔、クラブ活動、文化祭、運動会、修学旅行などの時のものです。それらの写真が載っている台紙は、分厚い大きなアルバムの中の数枚に過ぎないのです。

 

 さて、どうしたものかと思案しながら、その分厚いアルバムを眺めていると、あることに気づきました。それは、アルバムそのものが大分古びて、表紙・台紙を綴じている紐がゆるんでいることでした。

 なにしろ54年も前の代物です。経年劣化というのでしょうか、アルバムそのものが古びているのでした。試しに紐をほどいてみると、うまい具合に台紙が1枚1枚バラバラに出来そうなのでした。何カ所かはホッチキスで止められてはいましたが、それも錆びついて脆くなっており、簡単に取ることができました。

 台紙を破らないよう丁寧に扱い、自分が本当に残しておきたいものだけを、まとめることが出来ました。厚さ40㎜ものが8㎜程度になりました。

 

写真は「思い出」だけのものではない

 アルバムを整理して思ったことは、風景を撮ったものは、改めて見てみると、残すほどでもないということでした。その時はいいなと思ってシャッターを押したのでしょうが、当時の感動が蘇るということはありませんでした。

 やはり人物です。今では会えない人たちとの写真です。見た瞬間、その時の情景が蘇ります。当時の自分に戻ります。気分が塞いでいる時も、自分にもこんな時代があったのだと励まされます。その時はなんとも思わなかったことが、今になってどんな意味を持っていたかを思い起こす、よすがとなります。

 そうです、写真は単に思い出だけのものではありませんでした。それを見ることで、励まされたり、反省したり、忘れていた大切なものを思い返す手立てともなりました。

 写真を整理したことで、何か気持ちも整理できたような、そんなさっぱりとした気分を味わうことができました。小判形アルバムなので、ゆいま~る那須に持って行っても、手軽に取り出して見ることが出来そうです。

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左側が古いアルバム、 右側が差し替えたアルバム帳です