木もれ陽ベンチ

神奈川県川崎市在住の70代後半男性。栃木県那須町の高齢者住宅「ゆいま~る那須」を契約。90代後半の母の介護があり完全移住ではありません。現在は別荘気分で使用しています。

【第66回】奥深い「絶望名言」

 NHK放送番組に「ラジオ深夜便」があります。その中に「絶望名言」という月に1回のコーナーがあり、私はそれを聞くのを楽しみにしております。ただ午前4時から始まるので、そんな時間帯には起きていられない為、いつも録音しておいて昼間に聞いています。

 「絶望名言」とは、タイトルからして変わっています。どんなことかと言うと、古今東西の文学作品の中から絶望に寄り添う言葉を紹介し、生きるヒントを探そうというものです。

 なぜ絶望なのか。語り手は頭木弘樹さんという方です。大学3年の20歳のときに潰瘍性大腸炎を発病し、13年間の闘病生活を送った方です。

 そのときにカフカの言葉が救いとなった経験から、2011年に「絶望名人カフカの人生論」を編訳し、以後絶望にまつわる様々な本を執筆されているとのことです。

 頭木さんは言います。つらく苦しい時には、明るく楽しいものでなく、暗く悲しい人生物語に触れることで、生きる力になれたと。作家五木寛之氏も同じことを言っています。敗戦後、朝鮮半島から日本へ引き揚げてきて、つらく苦しい時代が続いた。そんな時には明るく楽しい音楽でなく、暗く悲しい歌を聞くことで、ずいぶん励まされたと語っていました。

 

 さて、この「絶望名言」番組の中で、珍しく「落語」が題材になったことがありました。進行担当者が「落語は楽しいもので、絶望とは関係ないのでは?」と疑問を投げかけました。頭木さんは、そうかも知れませんがと笑って、「芝浜」という噺を例に出しました。

※ここでちょっと「芝浜」という落語の荒筋を述べてみます。

 「時は江戸時代の話です。亭主が酒飲みで働かず、借金にまみれた生活をしている夫婦がいました。ある日亭主は芝浜で42両という大金を拾います。これからは贅沢三昧の暮らしが出来るというので、その晩は友人たちを招いて大盤振舞いをします。翌朝、酔いから覚めた亭主は細君に言われます。そんな大金を拾った事実はない。お前さんが寝ているときに見た夢に過ぎないのだと。

 初めは信じなかった亭主も、こんこんと聞かされる内に、夢だったのかと思い直します。借金の上に借金を重ねてしまい、にっちもさっちも行かなくなります。いっそ死んでしまおうかと嘆く亭主に細君は懇願します。今度こそは性根を入れ替えてください、地道に働いて暮らしを立て直すようにと頼みます。

 亭主は断酒をして一生懸命働き、3年後には小さな店を持つまでに立ち直ります。そして大晦日の晩、実はあなたが大金を拾ったのは本当だったと、細君は打ち明けるのでした。しかしあのまま横領したのでは大罪人になる。だから夢であると嘘をついたのだと。そして持ち主の分らなかった大金は、お上から戻ってここにありますと差し出すのでした。

 亭主は細君の真意が分り、嘘をついてくれたことに感謝します。新しい年を迎え、久しぶりに一杯どうかと細君は酒を用意します。3年振りに口にするその黄金色の液体。口元まで持ってきて、思わず亭主は言う。『よそう、また夢になるといけねぇ‥‥』」  古典落語の中でも名作と評される噺です。

 

 ここで頭木さんは提言します。幾らにっちもさっちも行かなくなったとしても、今までにさんざん借金の中で貧乏生活をしてきた夫婦である。例え一晩大盤振舞いをして借金が増えたからと言って、亭主が「いっそ死んでしまおうか」と言うのは少し変だとは思いませんか?と。

 進行担当者も「そう言われれば、そうですね」と応えました。頭木さんは、これは「落差」があったからだと言います。今までは貧乏生活だった。そこへ突然42両という大金(現在の金額にして800万円程)が舞い込んできた。亭主は大金持ちになったと有頂天になる。これからは贅沢三昧の生活が出来ると思った。ところが大金を拾ったのは夢の中の出来事だったとなる。再び貧乏生活へ舞い戻り。

  ここで一気に気持ちが落ち込んでしまったのである。天国から地獄への転落である。正に絶望そのもの。いっそ死んでしまいたいと思い込む。これが「落差」の恐ろしさなのだと。

 

 頭木さんは、ビクトール・フランクルの体験したナチス強制収容所での出来事も例に出しました。飢えと過酷な労働に苦しむ収容者の間で、クリスマスになったら解放されるという噂が流れました。人々は期待に胸を膨らませ、つらい毎日を生き抜き、クリスマスの来る日を指折り数えていました。そしてついにその日がやってきました。

 しかし、クリスマスがやってきても彼らは解放されることはありませんでした。その噂は嘘だったのです。すると、クリスマスの翌日に多くの人が命を落としたということです。これも「落差」によるものです。希望を失くし、生きる気力がいっぺんに消えてしまったのです。

 

 私も落語が好きです。昔録音しておいたものを聞いたり、テレビで見たりしています。「芝浜」も勿論知っています。しかし頭木さんのように、登場人物の一言である「いっそ死んでしまおうか」というセリフから、落差に落ち込む気持ちまでを考えたことはありませんでした。

 頭木さんは20歳のときから13年間というもの、殆ど寝たきりの闘病生活を送ったといいます。時には絶望の淵に立たされたこともあったでしょう。病床の中で絶えず生と死について悩み苦しんできたからこそ、そうした感覚が研ぎ澄まされてきたのだと思います。

 古今東西の文学作品の中から、頭木さんだからこそ読み取れた、絶望と生きるヒントを見出してきたのです。これからもこうした独特な視点で人生を解説する、頭木さんの奥深い「絶望名言」に学びたいと思います。

 そうそう、つい先日は「紫式部」が題材でした。彼女が書いた日記を取り上げるそうです。録音してあるので、昼食後にでもじっくり聞こうと思っています。