木もれ陽ベンチ

神奈川県川崎市在住の70代後半男性。栃木県那須町の高齢者住宅「ゆいま~る那須」を契約。90代後半の母の介護があり完全移住ではありません。現在は別荘気分で使用しています。

【第79回】株の動きに動かされ

 3月4日月曜日のことでした。食事をしながらいつものようにテレビでニュースを見ていました。なにやら大声で騒いでいる様子です。一体なんだろうと、改めて見てみると、日経平均株価が40,000円を突破したという知らせでした。株を扱っている関係者たちが歓声を上げていました。

 「フ~ン株価か。少しは景気がよくなっているのだろうか。良くなれば勿論いいけれど、年金暮らしの自分には余り関係がないな」、といった具合で、遠いよそごとの風景として聞き流していました。

 その夜のことです。寝床に入ってふと思い出したのです。「そう言えば、自分は個人年金に入っているけれど、その運用には株価が影響している筈だ」と。今から18年前、私は長年勤めた会社の退職金の一部を個人年金保険に預けたのでした。ある程度まとまった金額でした。保険会社はそれを資金として株相場でやりくりします。

 

 預けた保険金は15年間の待機期間の後、10年間を個人年金として受取るか、一時金としてまとめて受取るかを選べるシステムになっていました。10年間を個人年金として受取る利点は、当初預けた額の110%が保証されることでした。一時金としてまとめて受取る利点は、株価の動きに合わせて、条件のよい有利な額と判断したら、いつでも引き出せる点でした。

 

 そして15年間の待機期間を終えた時、個人年金を選びました。私は株のことは何も分りません。株価とにらめっこするより、堅実な110%が保証される方がいいと思ったのです。既に4年間分の個人年金を受領しました。あと6年間分が残っています。このままあと6年間を個人年金として受取ることも出来ますし、あるいは解約して残高を一時金として受取ることも出来るのです。

 

 問題はこの残高でした。前述のように保険会社は預かった金を株相場でやりとりしています。日経平均株価が40,000円を突破したという事は、預けてある残高も通常より高額になっている筈です。

 早い話が、今後6年間、個人年金として受取る総額と、解約して一時金で今受取る額のどちらが高額かということです。いくら株に疎い私でもその位は分ります。さっそく保険会社に今の残高を問い合わせました。確かに現時点ならば、一時金として受取った方がはるかに高額で有利でした。私の気持ちは、解約して一時金で受取る方に大きく傾きました。つい昨日まで、そんなことは微塵も考えていなかったのにです。

 

 次に頭を横切ったのは税金や諸経費のことです。一時金として受取れば、所得税が掛かります。通年より所得が多ければ、後期高齢者医療保険介護保険の保険料も高くなります。住民税もしかりです。果たしてどの位の負担増になるものか。今までは気にしていなかったそれらが、どういう計算の元からはじき出されるのか、その仕組みを初めて確かめてみる有様でした。

 

 一番心配したのは、医療機関にかかった時の後期高齢者医療保険の自己負担割合がどうなるかでした。年金生活者の多くは1割負担です。所得が多くなれば2割、3割となります。この自己負担割合というのは私個人だけの問題ではないのです。一世帯単位で割り当てられるため、私の母親にも影響するのです。

 母の年金収入は微々たるものです。母だけなら当然1割負担です。しかし私が一時金を受け、その年の所得が多くなり、自己負担割合が2割もしくは3割となれば、同じ世帯員として母親も同じく2割、3割となってしまうのです。今年98歳になる母は、何かと医療機関にかかる機会が多いです。年金収入は変わらないのに、自己負担割合だけが私と連動して高額になってしまうのです。それが一番気がかりでした。

 計算してみた結果、3割負担は免れましたが、どうやら2割負担の範ちゅうに入るようです。こんな事も今回のことがなければ、全く気にもしないものでしたのに‥‥。

 

 結局は、個人年金を解約して一時金を受取りました。その決断をする2,3日間というものは、そんな計算ばかりをしていました。また、株価は日毎に変わるものですから、自分が解約した決算当日の日経平均株価がとても気になりました。本当にお金というものは人を動かします。まさかこの自分が、株のことで振り回されるとは思いもしませんでした。

 一時下がった株価も一昨昨日の終値は39,740円となり、一昨日はまた日銀がマイナス金利政策の解除を決めたということで、2週間ぶりに40,000円台を回復したということです。今日もまた、めぐる株の動きに一喜一憂している人が大勢いることでしょう。そんな暮らし方は気の弱い私にはとても耐えられるものではありません。それこそ寿命が縮まってしまいます。もう株なんてこりごりです。

 という訳で、柄にもなく株と関わってしまった、一顛末をご報告いたしました。

(第78回)イライラ解消法

 「政・官・財の、なりふりかまわぬ不祥事が相ついだ年だった。自分のことしか考えていない、節操のない政治家。自分の欲得、自分の会社のことしか考えていない経営者。そして、誇り高き官僚だったはずの人たちまでが、利権を懐に、すっかり志を失っているかに見える。私たちには、そう見えるのだ。競うように、しなければ損とでもいうふうに、次々と明るみに出てくる悪巧みに、胸が悪くなる。彼らのために、真っ正直に誠実に生きている人たちまで、同じ目で見られてしまう罪の重さを思ったことがあるだろうか」

 

 上記は、大石邦子さんの「この生命を凛と生きる」という本に書かれている文章です。平成10年の発行で、その中で去年(平成9年)の不祥事を書いているのです。驚くのは、26年も前の嘆きが、そのまま令和6年の今に当てはまるということの恐ろしさです。次々と出てくる政界議員の裏金づくりの醜さは、この文章にぴったり当てはまるではありませんか。

 大石さんは他人を批判したり、世相を論じるタイプの人ではありません。むしろ自分のいたらなさを反省し、常に相手の良さに感謝を抱こうと心がけている人です。交通事故に遭い、20代の殆んどを寝たきりの病室で過ごした人です。以後車椅子の生活を続け、80歳を過ぎた今も文筆活動をしています。

 私は2006年に直腸がんの手術をし、闘病記を読む中で大石さんを知りました。そしてその手記やエッセイに感動し、教えられ励まされてきました。たまたま「この生命を凛と生きる」を読み返していたら、冒頭の文章に触れ、昔も今も変わらぬ政界の乱れにあきれ果てた次第です。

 

 閑話休題  さて前回のブログで、今年やってみたい事として、「切り抜きの整理」を述べました。現在少しずつやっています。その中で、これはと思う記事がありましたので、そのことを記したいと思います。

 その記事は「イライラ解消法」です。書いたのはエッセイストの岸本葉子さんです。人間、自分の思うように事が運ばないとイライラするものです。例えば、地下鉄の乗換え駅でホームへの階段を降りてきて、電車がいるのが見えると反射的にダッシュし、目の前で出ていかれてがっかり。次の駅でも同じことが続くと、吐き出すような溜息が出ます。

 そんな時岸本さんは、「こういう日もある」と呟き、自分をなだめるのだそうです。岸本さんは、自分のことを「ものごとが計画どおりか計画以上に早く進むと気分がよく、そうでないと必要以上にストレスを感じる、欲張りで余裕のない面がある」と言います。些細なシーンの小さな「~べき」に追い立てられる性格。パソコンに向かっているのに仕事が思ったほど進まない、電話も今日はやけに多い。そんなときに「こういう日もある」と言い聞かせることで、イライラが抑えられ、少しは心が楽になるそうです。

 

 岸本さんがそうした「イライラ解消法」を思いついた切っ掛けは、ある医師の話を聞いたことです。その医師は、病気のことで色々悩む患者に対し、悪い想念が湧いたら「まあ、いいか」という言葉をつぶやいてみなさい。実感が伴わなくていい、意味がわからなくていい、とにかくお経のように、心の中でただ唱えてみなさいと言ったのです。

 半信半疑ながら患者が試すと、それまでは悪い想念がなかなか頭から離れなかったが、そうつぶやいた瞬間消えるようになったというのです。嘘みたいな話だけれど、医師の説明では、人の「べき」「ねばならない」という思考は脳の神経回路が作り出している、回路を切断すれば、その思いは出てこなくなる。切断する方法が「まあ、いいか」とつぶやくことなのだと言うのです。言葉にはそういう力があるのだと。岸本さんはその方法を応用できそうな言葉として、考えて思いあたったのが「こういう日もある」だったのです。

 

 私も短気な性格で、いつも何かにイライラしています。買い物をするセルフレジで、前の人がグズグズしていたり、やっと自分の番が回ったと思ったら、お札が詰まって器械が止まってしまった。係の人を呼んでも中々やってこない‥‥。そんな時、「こういう日もあるさ」と呟いてみる。確かに慰めになるようです。イライラが少しは減るかも知れません。

 切り抜きなので、以前に1度は読んだ記事です。でもすっかり忘れていました。そうした意味でも、「切り抜きの整理」は良いことです。

 

 ここでふと思い出したことがあります。立川昭二氏の著書「人生の不思議」という本です。「イライラ解消法」とは少し趣が違いますが、何かあった場合にもちょっと立ち止まって、心を落着かせる考え方です。

 立川氏は2017年に90歳で亡くなられました。歴史学者で文化史・心性史の視座から生老病死を追究された方です。「人生の不思議」という本には、こんなことが書かれています。

 「不思議という言葉は、幸福とか安心といった言葉とは使われ方がちがう。幸福はかならず不幸と対で考えられ、安心は不安と対で考えられる。しかし、不思議には対立項がない。したがって比較もなければ評価もない、ただ不思議だけである。幸福・不幸そして安心・不安はその原因を追及し、その解決を追及したがる。そこに悩みや葛藤がうまれる。不思議には原因もなければ解決もない。したがって悩みも葛藤もない。

 人生の幸福とか安心を目標にして生きていくより、人生の不思議ということを座標にして生きていくと、人生はかなり色合いのちがったものになってくるにちがいない。とりわけ年をとれば、いま生きていることを不思議と感じ、その不思議を見つめて生きていくことのほうが、気も軽く心も楽に生きていけるのではないだろうか」

 

 さすがに生老病死を追究された学者だけあって、凡人の私たちとは格が違います。「イライラ解消法」などというレベルでなく、正に達人の境地です。何があっても、「不思議なこともあるものだ‥‥」と眺めることができれば、イライラすることもありません。

 そう言えば、冒頭に述べた政界の乱れも、裏金づくりの悪巧みも、なんやかんやと言われながら、昔も今も延々と続いています。ふしぎです。これまた不思議なことであります。

 いやいや、これは不思議だなどと言って済まされることではありません。こちらのふしぎは「変だ、おかしい」の不思議です。おおいに怒り、その原因を追及し、その解決を追及しなければなりません。こういうイライラは解消してはいけないのであります。

【第77回】 ほろ酔いで聞きながら‥‥

 この年末年始の間、ゆいま~る那須に5泊6日の滞在をしました。新ハウス長と副ハウス長とは初めての対面となりました。お二人とも気軽に声をかけて下さり、とても親しみやすい感じでした。また長い間療養されていたスタッフの方も復帰されて、久しぶりにお話しが出来て嬉しかったです。

 コロナ騒ぎも少し収まり、ハウス全体が明るい雰囲気になりました。なによりもマスク着用の義務化がなくなり、互いに顔を見て近くで話すのを遠慮しなくなったことがいいです。

 お正月ということで、元旦にはおせち料理が出ました。以前料理を担当していたベテランの方が、再び食堂スタッフとなり作ってくれたおせちでした。

 普段は中々顔を見られない方と会えるのも新年会の良さです。年頭にあたり、㈱コミュニティネット社長の伝言がありました。その中で新たに「和気ハウスシリーズ」が始まったことを知りました。完成期医療福祉という理念の基に、「ゆいま~るシリーズ」を展開していくのが㈱コミュニティネットの方針かと思っていましたので、意外な気がしました。両者の違いなどを今後はみていきたいと思います。

 

 年末年始の頃はまだ本格的な寒さとは言えません。なので、夜にふとんの中で寝る時は暖房器を点けません。これもゆいま~る那須木造家屋の利点だと思います。ただ1月中旬から2月中頃にかけてはもっと寒くなります。その時は果たして暖房器なしで安眠できるのか、まだ体験していないので分りません。

 元旦そうそう、スマホ地震緊急警報が鳴ったのには驚きました。那須ではそんなに揺れませんでした。私の居室にはまだテレビを置いていませんので、その時は詳しいことは分りませんでした。これが能登半島地震だったと後で知りました。翌日には羽田空港での飛行機事故など、令和6年の幕開けは正月気分がいっぺんに飛んでしまうものでした。

 

 1週間ほど前に税務署へ確定申告に行ってきました。収入が公的年金だけの者(400万円以下の場合)は申告の必要はないとのことですが、医療費控除があって還付金を請求するため、私は毎年税務署へ行っています。現在は電子申告(e-Tax方式)があり、わざわざ税務署へ行かなくても済むようになっています。パソコンやスマホで登録すれば、その中で作成と送信が出来るのです。

 私も数年前にe-Tax方式の手続きをしました。ところが、いざパソコンで送信しようとすると「受付不可」と表示されてしまうのでした。税務署に問い合わせると、確かに利用者識別番号の登録はされているという返事でした。しかし何度試しても駄目なのでした。仕方ないので申告書作成と印刷はパソコンで行い、それを税務署へ持ち込んでいます。自宅から税務署までは自転車で10分位で行けます。確かに係員へ手渡したという「申告書控え」を受け取るので、この方法でも悪くないと思い、続けています。

 

 そんな慣れている申告手続きなのですが、今回は税務署内でちょっと不審なことがありました。確定申告書にはマイナンバーを記入する欄があります。そしてその番号を確認するにはマイナンバーをコピーして添付するか、マイナンバーカードを提示するかの2通りがあります。今まではコピーして添付していました。今回は提示するやり方にしたのです。

 ところが税務署の係員は「次回からは添付するように」と言ってきたのです。なぜ提示では駄目なのかと私は問いました。確定申告の手引書には「提示か添付のどちらか」と明記されているのです。係員はなにやら説明していましたが要領が得られません。どうやら手続きに詳しくない人が係員として担当したようです。

 現在はどこも人手不足と言われています。慣れない人がアルバイトにでも来たのでしょうか。これからは何事も、専門担当だと思って鵜呑みにせず、相手任せにしてはいけないと思いました。

 

 年賀ハガキにはお年玉が付いています。以前は切手シートがよく当たったものでした。しかしここ数年はその切手シートも当たらなくなりました。なにしろ当選の該当番号数が少ないです。ずいぶん渋くなったものです。年賀ハガキの売上げ枚数が少なくなったからでしょう。

 私のところにも「今回で年賀状を出すのは最後にします」という案内が何通か来ました。年賀状は今後益々減っていくと思います。私は、相手の方が「終わりにしたい」という気持ちがない限りは続けたいと思っています。年に1度だけでも、その人のことをちょっと思い出す、そうした切っ掛けも大事だと思うからです。

 

 令和6年 今年から少しやってみようかと思うものがあります。それは今まで集めたものを活用するということです。先ず「切り抜き」です。今まで新聞を読んで、「あぁいい記事だな」と思ったものを切り抜いてきました。また本を読んで「いい文章だな」と思ったものをコピーして、それらをファイルに収めていました。

 しかし今までそのファイルを開けて、じっくり見たことがないのです。本棚に仕舞ったままになっています。「切り抜き」や「コピー」は一体なんのためにするのでしょう。それは後でもう1度読むための筈です。ただファイルに閉じ込めておいたのでは意味がありません。勿体無い。しかしともするとファイルしたことだけに満足して、そのままになっているのが現状でした。そのことに気づいて、切り抜きを少し読み返してみたのです。

 あぁこんな事があったなという懐かしさが湧いてきます。また当時は感動した記事も、今読むとたいしたことはないと思ったり、いいものはやはり良いものだと改めて確認できます。そうした作業は、自然と自分を振り返ることにもなるようです。

 

 もう1つは「録音もの」です。ラジオで「ちょっといい話」や「講演」などがあるとボイスレコーダに録音しておきました。これらもずいぶん溜まりました。ボイスレコーダは手の中にすっぽり入るほど小さなものです。その中に沢山の「いい話」が納まっています。しかしこれも唯録音しておいただけでは意味がありません。聞き直そうと思っています。

 聞くのは夕食後がいいようです。私は晩酌をします。夕食に唯ごはんだけを食するのはどうも味気ないのです。どうしても一杯飲みます。夏はビール、冬は日本酒か焼酎のお湯割りです。すると食も進み一日も終わりだという、気持ちに区切りがつきます。

 そうして自分の部屋に戻ると、酔いも手伝って小一時間ほど椅子に座ってボ~としています。このボ~としている時に「録音もの」を聞き直すのです。中には難しい内容のものもあります。それらは聞き流していきます。ほろ酔い気分で聞いて、自然と印象に残ったものがあればそれで満足します。文字どおり、右の耳から左の耳へ抜けるだけですが、ただボ~としているよりはいいようです。こうした時間が持てることは有り難いことであります。

【第76回】 作家・遠藤周作生誕100年 

 先々週の土曜日、東京都町田市にある町田市民文学館に行ってきました。「作家・遠藤周作展」を見るためです。遠藤周作は今年生誕100年を迎えたとのこと。氏は20余年のあいだ町田市玉川学園に住み、町田市とは大変縁のあった作家だそうです。後年氏の蔵書を寄贈されたことが、この町田市民文学館設立のきっかけになったといいます。

 

 

 氏は「日本人にとってのキリスト教」を文学テーマの基底に据えて、差別、罪の意識、個と権力、人間の弱さなどの心の暗部を描き出し、本当の自分とは何か、悪に救いはあるのか、人生とは、神、信仰とは何かを問い続けた作家です。

 ロシアによるウクライナ侵攻やイスラエルハマスの紛争など、混沌とした国際情勢や社会的不安が蔓延し、いま読むべき文学として再注目されています。遠藤文学の新たな地平から、生きることの意味、未来を灯すメッセージを読み取ってほしいという趣旨で、今回開催されたとのことです。

 

 特記すべきことは、3年ほど前から氏の未発表作品が相次いで発見されたことです。そうした作品が新刊本として書店に並ぶようになったことは、ファンの一人として大変嬉しく思っています。死後27年も経ってこうしたこと(新刊本が出る)が続くのは、出版界では大変珍しいことだそうです。私の本箱にもその新刊本が7冊ほど並んでいます。

         香りも新しい新刊本

 

 実は2007年にもこの町田市民文学館で、開館1周年を記念する特別企画として「遠藤周作展」が開かれたのです。その時にも私は行きました。あれから16年も経っているのです。本当に年月の経つのは早いものだと思いました。

 一度行ったということで地図もろくに調べないで出かけました。町田駅から徒歩8分ということでしたが、恥ずかしいことに迷ってしまいました。今までスマホのマップなど使ったことのない私です。初めて試してみましたが、これも恥ずかしいことに使い方がまるで分らないのです。幸い街頭の案内板が完備されていましたので辿り着くことが出来ました。これからはスマホのマップくらいは使えるようにしようと反省しました。

 

 今回私が「遠藤周作展」に行った目的のもうひとつは、加藤宗哉氏の講演を聴くことでした。昭和43年、当時23歳の大学生だった加藤氏は雑誌「三田文学」の編集手伝いをしていました。その時に1年間という期限付きで遠藤周作が編集長として来たのが、二人の出会いでした。

 当時遠藤氏は「沈黙」を発表したばかりの気鋭の作家でした。接する内に怖くもありまた面白い遠藤氏に惹かれ、やがて師弟関係を結び30年ほどの年月を共にした加藤氏です。他人には決して喋ってはいけないという「秘密」まで打ち明けられた加藤氏とは、一体どんな人なのか、どんなところが遠藤氏に気に入られたのか。そんなところに興味を持ったのです。

 

 冒頭に加藤氏はこんなことを言いました。「死後27年も経って、ますます遠藤周作という人が好きになってきた。まさかこんな気持ちになるとは思いもしませんでした。不思議です」と。それほど遠藤周作という人は魅力のある方であり、またそうした師を持った加藤氏も幸せな人だと感じました。

 加藤氏はキリスト教には無関心な人でした。たとえ師である遠藤周作キリスト教徒であっても、だからといって自分がキリスト教を信じることはないと思っていたそうです。そんな彼に遠藤氏はある仕事を紹介しました。

 キリスト教に無関心な立場から、信者に対して様々な疑問を投げかけ、インタビューをすることでした。また他宗教からカトリックに改宗した人びとの話を、信者でない立場から文章にまとめることも課しました。そうした仕事が終わり1冊の本になる頃、加藤氏はいつのまにか洗礼を受ける気持ちになったそうです。このことは加藤氏の書いた「遠藤周作 おどけと哀しみ」という本で知りました。

 

 遠藤氏は「日本人にとってのキリスト教」を文学テーマの基底に据えてきた作家です。しかし晩年は「神はひとつ」という境地になったそうです。たとえば富士山に登る場合、登り口はいろいろな場所があります。しかし行き着く先の頂上はひとつです。それと同じように、神という頂上を目指すのに、ある者はキリスト教であり、別の人は仏教かもしれない。またイスラム教やヒンドゥー教の人もいる。

 それでいいのだ、めざす神は同じひとつなのだから。たまたま自分の場合はカトリックであったという考え方です。晩年に著した「深い河」という作品はそうした境地から書かれていて、遠藤文学の集大成であると加藤氏は説明されました。

 講演の終わりに質問コーナーがありました。ほんの些細な問いかけにも、加藤氏はひとつ一つ丁寧に答えていました。私は自宅から持ってきた氏の本「遠藤周作 おどけと哀しみ」にサインを貰いました。氏はサインをする時、その本を見て「あ、懐かしい」と言っていました。

生誕100年。これを機に改めて遠藤周作の本を読み直そうと思いました。

       サインもらいました

【第75回】お店選び

 早いもので今年も残りひと月となりました。ついこの間まで暑い暑いと叫んでいたと思ったら、もう暖房器具が手放せないこの頃です。一体秋はどこに行ってしまったのかという思いです。暑からず寒からずの、季節の中で最も心地良いあの秋がです。

 極端に言えば、日本気候は暑いか寒いかのどちらかだけになってしまったみたいです。その内に四季という言葉が使えなくなってくるのではないでしょうか。まさかそんなこともないでしょうが、昔から比べると春や秋の期間が短くなってきたのは確かなようです。

 

 さて12月というと忘年会シーズンです。ゆいま~る那須掲示板には「望年会」と書かれていましたが、これはいい表現です。その年を忘れ去るのでなく、来る年に望みを抱くという明るさがあります。私も年末には親しい人との望年会を楽しんでいます。

 私の住む川崎駅周辺は居酒屋がたくさんあります。何かの集まりがある度に利用しています。そして同じ店で宴会するのではなく、できるだけ違った店を利用したいと思っています。今回はそんな時の私のお店選びを述べたいと思います。

 

 ネットで検索するのですが、先ず料金です。宴会コースで1人当たり大体4,000円くらいを目途にします。やはり駅に近い店は高いです。駅から少し離れた徒歩10分くらいのところを探すと、手頃な値段で営業しています。次にそれが飲み放題付きであることが肝要です。仲間はアルコール好きで1,2杯では済みません。金の心配をしながら飲んでいては酔えないです。心置きなく飲めるよう「飲み放題」に限ります。そして料理ですが7,8品くらい出るのが一般です。宴会コースはいちいち注文する手間が要らないので楽です。そうやって2時間くらいで飲食し、酔いもお腹も満たされると予想できればOKです。

 いよいよ予約する前に私は必ずその店を見に行きます。実際に店構えを見て、その雰囲気に違和感を抱かないか確かめます。ネットだけでは果たしてどんな店なのか分らないからです。こんなことが出来るのも、自宅が駅前に近いからなのでしょう。勿論当たり外れはありますが、これもお店選びの楽しみのひとつです。

 

 そう、お店と言えば前々回でカラオケ店のことを述べました。自宅に近くて格安でカラオケ設備も良い店なのに、集まるお客さんと波長が合わないので、どうしょうかといった話でした。私は演歌が好きで、じっくりとその情緒に浸りたいのに、他のお客さんは今風の賑やかな(私にすればウルサイだけの)歌を好むという、客層違いの悩みでした。

 あれから2度ばかり行ってみました。やはり駄目でした。若いお客が多く、誰かが歌っている間は、仲間同士しきりに喋りこんで、唄っている人の歌を聞くということもありません。テンポが速く意味の分らない歌が流れます。そんな中では演歌の詞などかき消されてしまいます。何か浮いた感じになり正に場違いです。

 

 私はその店に行くのは止めました。週に1度くらいは夕食後ふらっと立ち寄れる、自宅近くの格安なカラオケ店でしたが残念です。自分はやはり家でひとり、ユーチューブ相手に唄うのが似合っているのでしょう。ただ家で唄う時は大きな声は出せません。どうしても声をセーブします。カラオケの良いところは、大きな声を出せることです。エコーもかかりその歌の世界に浸れます。

 そんなことを思っていた時、ふと頭に浮かんだことがありました。自宅から自転車で5分位のところにある古びた建物です。掘っ立て小屋という表現がぴったりの粗末な建ものです。そこにカラオケという文字が書いてあったのを思い出したのです。もしかしたらその建ものはカラオケ店なのかも知れない。パッとしない小屋なのでそれっきり忘れていたのですが、もしお店ならばちょっと覗いてみようという気になったのです。気持ちの中に、やはりカラオケ店で唄いたいという未練が強かったからなのでしょう。

 

 行ってみました。やはりカラオケ店でした。間口が狭くテーブル席が1つであとはカウンターという、10名ほどで満席になる店内でした。先客が4名いました。なんと唄っている歌は演歌でした。それもかなり上手なのです。仲間が唄っている時は静かに聞いているか、小声で話し合う気配りがありました。

 店主も歌好きで、客の合間に唄います。私も早速唄ってみました。音響設備も悪くありません。カラオケ画面も鮮明できれいです。私が唄い終わると自然に拍手が湧きました。そうやってお互いに交流しようという雰囲気がありました。とてもいい感じです。

ここは1曲唄うと100円支払うシステムです。お酒やお茶、おつまみも注文できます。粗末な店構えなので、お手洗いはどうなのか心配しましたが、ゆったりとした広さがあり清潔で安心しました。

 

 4回ほど通いましたが、雰囲気は初めての時と変わりません。客層が私にはぴったりの店でした。どうやら店主はカラオケ好きが高じて、自宅の空き地にこうした建物をたて、定年後に店として看板を出したのではないかと思います。なので店構えにはあまり気を使っていないのです。はっきり伺ったわけではありませんが、常連客とのやりとりを聞いていると、どうもそんな感じです。定年後のひとつの生き方として、こうした老後の過ごし方も悪くありません。

 不思議なもので、通いはじめている内に店への印象も変わりました。掘っ立て小屋だった建物も、それなりに味のある、懐かしい友人宅のように思えてきました。お店は豪華な構えや洒落た感じよりも、その店の雰囲気や客層が自分に合っているかどうかが大事だということを、改めて思った次第です。居心地のいい飾らぬカラオケ店に乾杯!

【第74回】ほどほどで良し

 以前(第71回目です)述べたように、わが家の外壁塗装工事が始まりました。25年前にも外壁塗装工事をしたのですが、いろいろ環境が変わりました。一番変わったのは敷地の西側にあった道路がなくなったことです。そのために作業者の出入りが不便になりました。庭の木も育ったため敷地内が狭くなり、足場を組むのがやっとで、余裕がまるでありません。また、現在は使用していない古い物干し台をどかそうとしたら、台座から支柱が折れてしまったなんてことも起きました。長い間に錆付いてしまっていたようです。

 作業者のトイレ事情も変わりました。昔は、「ちょっとトイレを借ります」と言って、作業者の方がわが家のトイレを使ったものです。今は公園やコンビニに行って用を足しています。会社として、無闇に他家の室内へ入ることを禁じているようです。公園が整備されたことや、コンビニの店舗が増えたというのも理由かも知れません。

 

 塗装を依頼するに当たり、案外迷ったのが外壁の色選びです。建物は色によって印象が変わります。築45年の古屋です。今更色なんて何でも構わないではないかと言えばそれまでですが、やはり少しは気に入ったものにしたかったのです。

 ところがこの「気に入る」というのが中々難しいのです。見本で色を見るのと、実際に建物へ塗付した時では感じが違うそうです。あれこれ迷った末、業者に何点かカラーシミュレーションしてもらい、その中から比較するという形で決めました。「その色よりは、こっちの色の方がいいのでは?」といった程度の判断基準です。そう、ほどほどのところで良しとしたのです。

 

          どんな色に仕上がりますか

 

 普段は97歳の母親との単調な毎日ですが、工事中の今は何かと気忙しい日々が続いています。ある時などは、作業者の方が車のキーを紛失してしまい、塗装どころではない一幕もありました。そんな中、私のパソコンメールに異変が起きてしまいました。前日までなんでもなかったのですが、朝にメールを立ち上げたところ、画面が今までと違っているのです。よく見ると、過去のデータを保存していたフォルダがありません。さらにアドレス帳を開くと全てのアドレスが消えているのでした。

 一体なぜこんなことが起きたのか皆目分りません。試しに送受信してみると、その機能は大丈夫のようでした。しかしフォルダやアドレスがないのは不便です。メールソフトの制作会社であるマイクロソフトに問い合わせしようとしましたが、トラブル処理はオンライン対応ということで埒が明きません。早口の音声で一方的にアクセス番号が流れるだけです。問い合わせしてみようという気が失せてしまいました。

 

 そこで思いついたのが、パソコンのシステム復元です。前日まで何でもなかったのだから、システムを数日前に戻せばいい筈です。過去のパソコントラブルもその方法で解決したことがありました。昔やった手順を思い出しながら、やっと復元処置画面のところまで辿り着きました。そしてシステム復元ボタンをタッチすると、「しばらくお待ちください」というメッセージが流れました。

 やれやれこれで一段落と胸を撫で下ろしました。ところがこのメッセージがいっこうに終わらないのです。「しばらくお待ちください」の文字だけが続きます。30分、40分経っても同じ状態です。さては操作を間違ってしまったのか!メールだけでなくパソコンそのものも駄目にしてしまったか。

 修理に出すとなると時間がかかります。その間どう対処したらいいのか、いろいろ不便なことが生じるに違いない。こんなことなら、あのままそっとしとけば良かったのにと、あれやこれやの思いが巡りました。

 

 ふと気づくと、パソコンが再起動していました。ようやくシステムの復元作業が終わったようです。それにしてもずいぶん時間がかかったものです。さてメールは?と見ると、依然としてフォルダがありません。アドレス帳も消えたままです。パソコン内部のシステム復元作業で解決出来る問題ではなかったのです。さあ、どうすればいいのか…‥。

  しかしもうこれ以上深入りするのは恐くなりました。幸いメールの送受信は出来るのです。最低限必要なことは確保出来ているのです。もうこれでいいではないか。

 物であるパソコンに対し、「深入りしない」などという表現は可笑しいかも知れません。しかしそう感じるほど、今やパソコンは身近な、なくてはならないものになっているのです。それだけにヘタにいじって、これ以上関係をわるくしたくないのです。必要なことが出来ていれば、それで満足するのが無難と言うものです。

 フォルダやアドレス帳は改めて作ればいいではないか。何か問題が起きたら、その時に考えればいい。そう思ったら気が楽になりました。そうです、これも亦「ほどほどで良し」とするのです。

【第73回】近所で見つけたカラオケ店

 先月の中頃でした。朝刊を広げたら、近隣の美味い店を紹介するチラシがあり、「焼き鳥屋」が載っていました。別に珍しいことでもないので、そのまま捨てようとしました。その時、その店の開店時間に目が止まりました。午前11時半から営業と書いてありました。

 繁華街の店ならともかく、住宅街の中にある「焼き鳥屋」で、昼間も営業しているのは珍しいことでした。興味を持って読んでみると、わが家から自転車で5分位の所にあり、しかも信玄鶏を使っているとありました。

 

 私がサラリーマンの現役時代(もう20年以上も前です)、仕事が終わるとよく焼き鳥屋に行きました。「焼き鳥」と言っても鶏肉でなく、豚の臓物いわゆるホルモン焼きでした。適当に食べて飲むと、後はカラオケ店へというのがお決まりコースでした。

 退職してからはそうした機会はなくなり、月に1度カラオケスナックに行く位の、実に地味な生活を送っている私です。

 

 昼間も営業しているとなると、「たまには焼き鳥でも‥‥」という気になりました。土曜日の昼間、早速行ってみました。

 店に入るとタブレットを渡され、注文はそこに打ち込んで頼むシステムでした。いちいち打ち込んで注文するのも面倒なので、12本おまかせセットにしました。焼きあがるまでビールを飲んでいると、店側が適当に見繕ったものが出てくるのです。

 久しぶりの焼き鳥は美味でした。ただ、終盤の頃にまとまって出されたのには閉口しました。その点、サラリーマン時代に通った焼き鳥屋は見事でした。そこは10本セットで、最初の5本は待たせないで出てきます。そしてその5本が食べ終わる頃、絶妙なタイミングで残り5本が出てくるのでした。30名ほどの客に対して、皆そのように振舞っていました。いろんな種類の注文があるだろうに、よくその順番が分かるものだと、オヤジさんの脳みそに敬服したものでした。

 

 その日は昼間のアルコールと焼き鳥で、いい気分で家路に向かいました。するとその焼き鳥屋の近くにカラオケ店があるのに気づきました。しかも焼き鳥屋と同じ屋号が付いているのです。店の案内板を見ると、「開店は19時から24時、1時間1,250円で歌い放題、飲み放題」と書いてありました。

 これは格安です。近くにスナックもありますが、ビール500ml瓶が1,000円、カラオケ1曲200円でした。それと比べると段違いです。ただ女性スタッフはいないということでした。飲んでカラオケが目的な訳です。

 

 カラオケが好きな私です。次週の土曜日に行ってきました。テーブル席が4つあり、音質も画質も良いカラオケ設備が揃っていました。20時に入店して2時間ばかり唄いました。その間、他のお客は2名だけでした。飲んで唄って2,500円。一体これで商売になるのかと、心配になって店員に聞きました。

 このカラオケ店は、焼き鳥屋の宣伝のためであり、売り上げは期待していないということでした。店員も歌が好きで、客が唄う合間に、時折店員も唄うという気楽な店でした。いいお店があったものです。やはり外に出てみるものですね。家の中にいたら、こうしたお店があることも分りません。

 

 ただひとつ気になったのは、一緒に居た他客2名の選曲が、私には皆目分らぬ歌なのでした。私は演歌が好きなのです。昭和歌謡のメロディーと歌詞を楽しみたいのです。しかるに、何か早口でまくしたてるような歌声、歌詞の内容よりもリズムを楽しむといったような歌が流れてくるのです。

 私が気になるというのは、店の客層と言いますか、その店がどんな歌を好む客で占められているかということなのです。カラオケ店では、自然と似たような歌が唄われるようです。若者向きか、家族向き、定年を迎えた人向きかといった様に、ある傾向が出来ます。私が月に1度行くカラオケスナックは、歌謡曲と演歌がよく流れます。派手さはなく落着いた雰囲気の店です。

 

 果たして今度のカラオケ店はどうなのだろうか。1回行っただけでは分りません。次の週また行きました。やはり私の知らない歌が流れました。仲間同士笑いながら、喋りながら、私には意味の分らない歌詞やリズムが飛び交います。

 勿論これは私が古い人間で、今流行の歌についていけないだけのことです。今の歌には今の良さがあるに違いありません。ただそうした歌が多い中で、昭和歌謡は馴染みません。全体の流れというものがあり、途中で演歌が入っても何か浮いた感じになってしまいます。客層ならぬ曲層(そんな言葉はないでしょうが)が違うようです。

 

 折角見つけた良いお店なのに残念です。週末の土曜日など、夕食を済ませた後ふらっと立ち寄り口ずさむ。家からも近く気軽に通える、気晴らしには恰好の店なのにでした‥‥。

 いやいやまだ2回しか行っていません。諦めるのは早すぎます。もしかしたら演歌好きな客も来るかも知れません。何度か足を運んでもう少し様子を見ようと思っています。折角見つけた良いお店なのです。あきらめられません。