木もれ陽ベンチ

神奈川県川崎市在住の70代後半男性。栃木県那須町の高齢者住宅「ゆいま~る那須」を契約。90代後半の母の介護があり完全移住ではありません。現在は別荘気分で使用しています。

【第40回】影絵作家 藤城清治さん

■影絵に惹かれて

 ゆいま~る那須に完全移住したら、ぜひ楽しもうと思っているのが那須高原にある観光地巡りです。温泉もあります。さてどこに行こうかと観光マップを広げると、余りにも種類が多くて選びきれない程です。その中で、これは絶対に外せないと断言出来るのは、影絵の藤城清治美術館です。2013年、藤城氏が89歳の時にオープンしました。

 それを記念したのでしょう、当時テレビで盛んに藤城氏のことを取り上げていました。私もテレビを見て、初めて藤城氏や影絵のことを知りました。ともかくその影絵の美しさに惹かれました。

 人物や風景の切り絵に、裏からカラーシートを貼って光を当てると、なんとも詩情豊かなメルヘンの世界が現れるのです。影絵について、藤城氏は次のように述べています。『昔も今も、この世で一番美しいものは、光と影だと思い続けている。光と影は無限の力を持っている。唯美しいというだけではない。魂を揺するような、何か人間の心の奥深いところに通じるものがある。影絵は静かに止まっている時、より神秘的で、何か人にそっと囁いてくれるような気がする』

 藤城氏の影絵に対する思い入れ、愛情が伝わってくる言葉です。

 

 代表作のひとつと言われる、「月光の響き」と題された影絵を、番組の中では次のように解説していました。【月の光がスポットライトの様に、大木に降り注いでいる。その下ではひとりの小びとがチェロを弾いている。その旋律が大木の葉にそよぎ、まるで光の色彩となって響き渡っているかの様である】

 まさに詩や童話などメルヘンの世界を、幻想的に映し出す、光と影のシンフォニーです。テレビの画面で見ても本当に美しいです。

 

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■老いてこそ分かるもの

 テレビで見た時、藤城氏は当時89歳でした。これにも驚きました。私の中で、89歳というイメージは、もうひと通りのことは成し遂げて、あとは余生をゆっくり楽しむというものでした。のんびりとソファーに凭れて、過ぎし日の昔を懐かしむという構図です。

 しかしながらテレビで見た藤城氏は、片刃カミソリを手にして、デッサンした厚紙に向かい、繊細かつ大胆に、パッパッと素早い動きで切り絵をしているのでした。かと思うと、そうして切り取った厚紙の裏側に、これも素早い速さでカラーシートを貼り付けているのでした。その姿は、自分が頭の中に描いた影絵のイメージを一刻も早く正確に、形あるものにしたいという、創作意欲に満ち充ちたものでした。私が89歳に持っていたイメージは、いっぺんに吹き飛んでしまいました。

 

 その時藤城氏が熱く語っていたのは、宮沢賢治の「風の又三郎」という童話でした。この作品は、宮沢賢治のキラキラと詩情輝く多くの物語と違って、地味で素朴な内容のため、影絵として表現するのは難しくて、今まで取り組めなかったと言うのです。10年前では手をつけることが出来なかった。この歳(89)になったからこそ、やっと取り組める気がしたと語るのです。ひとつの挑戦だと言っていました。

 その「風の又三郎」制作の中で、小学校の教室を描くところでは、スタッフとの間のこんなやり取りを紹介していました。藤城氏は教室の下絵をスタッフに任せたのです。スタッフは椅子や机を定規で測ったように、整然と描きました。とても綺麗に仕上がっています。これに対し、藤城氏は駄目出しをしたのです。こんなのでは、田舎の古い教室の雰囲気が出せないと言うのです。そしてその下絵を手書きで、いびつな椅子や机に書き直しました。

 教室の天井や壁を影絵で表現するのに、半透明のカラーシートを千切って、何枚も重ねました。すると自然に出来たかのような、ヒビや汚れ、シミが表われました。机も、児童の手垢が付いた、使い込まれた温かい表情になりました。まるで、古い校舎の臭いまで伝わってくるような影絵となりました。

 こうした手法は、藤城氏が長年試行錯誤しながらあみ出したもので、誰にも真似が出来ないと言っていました。(だからこそ、こうしてテレビで制作現場を公開出来るのだと思います)

 そしてこの歳になったからこそ、やっと取り組めるひとつの挑戦というのは、今までのように、詩や童話などメルヘンの世界を幻想的に映し出す表現と違って、風の又三郎の顔だけでもこの物語が成り立つような、リアルな性格までをあらわす顔を描きたい。シルエットだからこそ出せる象徴性を表現したいということなのでした。

 

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 ■平和への遺産

 藤城氏は、80歳の時にサイン会のために広島を訪れた時、原爆ドームを見て、心を揺さぶられたと言います。雨が降る中を3日間、あらゆる角度から原爆ドームをスケッチしたとのことです。藤城氏は語ります。「人の命を一瞬で奪ったその形が、原爆ドームには今もありありと残っている。ただ美しいとか楽しいメルヘンを描くのでなく、こういうものを描く、描き残すことが大事じゃないか。いや、こういうものこそ描き残したい」

 テレビ画面に、2005年に制作した「悲しくも美しい平和への遺産」という影絵が映し出されました。そこには、骨組みがむき出しになった、悲しいばかりの原爆ドームが描かれていました。堅牢なビルが一瞬の内に無残な姿になったのです。

 そのドームを囲むように、数羽の折鶴が天高く舞い上がっています。それを見上げている少女と少年の妖精がいます。そしてドームの上には小びとがいて、空に向かって笛を吹いています。「悲しくも美しい平和への遺産」という思いが、伝わってきます。

 

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■美しくも恐ろしい自然の姿を 

 東日本大震災のあった翌2012年8月には、岩手県陸前高田市を訪れています。そこで奇跡の一本松を描いた影絵があります。夜景をバックに、うねるような光のすじは、津波を象徴しているのでしょうか。高い松の枝には、4人の小びとが蝋燭をかかげています。そのかすかな灯に希望を感じます。

 同年11月には、福島第一原発からわずか数キロの場所を訪れています。かつては畑があり、田んぼがあり、人の住む住宅があった場所です。今や廃屋と瓦礫にまみれた荒れ果てた土地を、放射能防護服を着て、2日間見続けたといいます。放射能という、目に見えない恐ろしいものを、いかに描くか。

 誰も住めなくなったその土地にも、見渡す限りススキが生い茂り、川には産卵のために遡上する鮭の姿がありました。藤城氏はその光景を影絵にしました。そしてススキの脇に積まれている瓦礫の石に、「世界がぜんたい幸福にならないうちは 個人の幸福はあり得ない」という、宮沢賢治の言葉を刻んでいます。

 

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 先に述べた「風の又三郎」の影絵に、大きなつむじ風を描いた場面があります。藤城氏は、このつむじ風に強い思い入れを込めたと言います。それは、又三郎が風の神の子であるということを強調するためなのです。自然は、時に人間の想像を絶する力で襲い掛かる。そうした美しくも恐ろしい自然の姿を、この「風の又三郎」の影絵で表現するのが、もうひとつのテーマであると語っていました。

 

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 幸いなことに、私は藤城氏の影絵を、今までに実物で2回見ることが出来ました。最初は2014年で場所は銀座の教文館です。藤城氏の90歳を祝っての催しでした。生で見る影絵は格別でした。しかも、影絵を写真に撮っても構いませんという、信じられない配慮をしてくれました。公共の施設内では出来ないことを、個人の展覧会では叶えたいという藤城氏の発案なのでした。氏の優しく温かい人柄が伝わりました。今回掲載した写真は、その時に携帯で撮ったものです。