木もれ陽ベンチ

神奈川県川崎市在住の70代後半男性。栃木県那須町の高齢者住宅「ゆいま~る那須」を契約。90代後半の母の介護があり完全移住ではありません。現在は別荘気分で使用しています。

【第39回】「その内いつか」に惑わされ‥‥

■再び発令された緊急事態宣言

 新型コロナウイルス特別措置法に基づく緊急事態宣言が1都3県に発令され、8日から始まりました。関西3府県にも発令の動きが出ています。不要不急の外出を避けるように要請されています。川崎市に住んでいる私はその該当者です。自粛せねばなりません。

 しかし73歳の年金生活者である私は、あえて自粛するようなことはないのです。日中の殆どは94歳の母親と家の中に居ります。食料や日用品の買い物、たまの通院や理髪店行きで外出することはありますが、これらは不要不急とは言えません。

 

 昨夏の頃は今ほど感染者が多くはなかったです。暑さのためということもあり、人との接触がない時には、マスク着用も臨機応変にと言われました。私などはコンビニやスーパーへ買い物に行こうとして、途中でマスクをしていないことに気づき、慌てて自宅に戻り、マスクを取りに行ったことが度々ありました。

 暑い夏が過ぎ、枯れ葉が舞い散る晩秋の頃になっても、そんな失敗を何度か繰り返しました。「外出する時にはマスク着用のこと!」という緊張感に欠けるほど、出掛ける回数が少ないのです。冬になり、感染者の数が増えたことでマスクは必須となりました。いくら能天気な私でも、外出時に忘れることはなくなりました。また防寒のためにもマスクはいいグッズのようです。

 

 反面、困ったことは眼鏡が曇ることでした。外気の冷たさとマスクの中で吐く息の温かさで、たちどころに眼鏡が曇って見えなくなります。自転車に乗っている時などは特に危険です。また外から暖かい室内に入ると、これも温度差で一気に曇ります。郵便局に行った時などは、書類の字が読めなくて困りました。ど近眼の私は眼鏡なしには生活出来ません。慌てて「メガネレンズのくもり止め」を求めました。しかしこれとて万能ではなく、マスクをして物が見えづらいのは相変わらずでした。

 そんな訳で、私はマスクが苦手です。煩わしいです。しかし外出の折りには着用せねばなりません。そこでちょっとした工夫をしてみました。マスクの中で呼吸をする時に、意識的に下の方に息を吐くのです。ただ漠然と呼吸をするのでなく、口を少しつぼめてアゴに向かって息を出すようにしました。するとだいぶ眼鏡の曇り方が抑えられるのです。息をするのにいちいち面倒とは思いますが、この方法で曇り方が少しは少なくなるのでした。

 

■人生を2度味わう

 前回のブログで、私が3年日記というのを付けていて、11年間も続いていることに我ながら驚いていると書きました。何事にも長続きせず三日坊主の自分としては、本当に珍しいことなのです。しかし、世の中には凄い人も居るもので、10歳から始めて81年間に渡り日記を書き続けている、91歳の男性を新聞で紹介していました。

 その方(東京都武蔵野市の北村知久さん)の日記付けのきっかけは、神武天皇即位2600年を記念した「小学生日記」(博文館)を両親に買ってもらったことだそうです。途中で手帳に書いた時代もあるが、今では93冊目になったと言います。戦争中には空襲に遭ったり、戦後は食糧難に苦しんだとありますが、そうした中でよくぞ日記を書き続けてこられたと思います。子供の頃から絵も好きだったので、日記にはイラストも添えて、分りやすく表現してありました。

 北村さんは今、膨大な日記のページをめくりながら、「当時の記憶がよみがえり、過ぎ去った人生をもう一度味わうことができる」と語っていました。自分の歩んだ人生記録を残すということはとても良いことだと改めて思いました。そして残した記録を生かすためにも、読み返すことが大事です。北村さんのように、人生を2度生きられる思いがするなんて、素晴らしいことだと思いました。

 

■ものごとにある「時期」の大切さ

 先日、母の部屋で片づけものをしていたら、何冊ものファイルが出てきました。見ると、新聞の切り抜きが綴じてあります。「きょうの歴史」「短歌」「草花の紹介」「ことばの四季」などというちょっとしたコラムの類です。

 そう言えば昔、母がせっせと新聞を切り抜いていたことを思い出しました。自分の興味や関心のあるものを読んで、収集したくなったのでしょう。B5の大きさのファイルに20冊ほどありました。しかし収集したまま、その後ずっと棚の奥に仕舞ってあるのでした。たまたま私が片付けて出てきたのです。母に見せたところ、昔ファイルに綴じたことはよく覚えていました。しかしそれを今読み返そうという気はないようです。これは残念で勿体無いことです。折角収集しても意味がありません。

 ものごとには時期というものがあるようです。その時には関心を持っても、それを生かさないと消えてしまいます。ただ収集することに夢中になって、ファイルに綴じたことで達成感を覚え、そのままになってしまったのかも知れません。

 

 しかし、これは母だけではないようです。改まって自分のことを振り返ると、私も同じことをしています。テレビ番組をDVDに録画して、いつか見ようと思っている内に忘れ、気が付いた時には興味を失っていることがあります。本なども、買ったままろくに読みもしないで、本棚の隅に仕舞い込んであります。新聞の切り抜きをして、やはりファイルに綴じたままになっています。いつか見ようと思ってそうしたのですが、そのいつかが来ないまま、現在に至っています。

 私も73歳になりました。「その内いつか」と思っている内に、どんどん年を取ってしまいます。やがて興味を失って、せっかく収集したものに見向きもしなくなるかも知れません。「その内いつか」と思っていた気持ちが消えてしまうのです。勿体無いことです。

 緊急事態宣言で益々外出もままなりません。これを機会に、収集したままになっているのを再確認し、読み返したり、見直そうと思いました。