木もれ陽ベンチ

神奈川県川崎市在住の70代後半男性。栃木県那須町の高齢者住宅「ゆいま~る那須」を契約。90代後半の母の介護があり完全移住ではありません。現在は別荘気分で使用しています。

【第30回】観たい映画『瞽女GOZE』

■迷ったゆいま~る那須行き

 今夏、私は8月8日~13日までゆいま~る那須に滞在しました。新型コロナウイルスの影響で、多くの方が盆帰省や旅行を諦めた夏でした。私も当初は迷いました。ゆいま~る那須へは、特に行かなければならないという理由はありません。

 2013年に入居契約はしたものの、母の介護ということもあって、実際の生活は神奈川県川崎市で過ごしている私です。年に3回(春、夏、冬)ほどの割合でゆいま~る那須に行き、居住者の方々と交流をしている状態です。少しでも顔を覚えてもらい、将来完全移住した時に、すぐに皆さんと溶け込めるようにしておきたいという訳です。

 5月のゴールデンウイークの時は、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が発令されていて、行けませんでした。今夏行かなければ、次回は年末年始の時期になります。そうすると1年間行かなかったことになります。これでは少し間が空きすぎると思って、今回の那須行きとなりました。

 ニュースで聞いたとおり、新幹線の中はガラガラでした。通常この時期には、温泉地の那須塩原駅で降りる人が多いのですが、そうした光景は見られませんでした。

 

■顔なじみになった牧場カフェ

 初日の8日は土曜日です。夕食時、ゆいま~る那須では「居酒屋の日」となっています。食堂では各種の惣菜やつまみが用意され、各自が持ち寄ったお酒を楽しみます。しかし3密(密閉、密集、密接)を避けねばなりません。また夕方から降り出した雨の影響でしょうか、集まりが今ひとつ少なかったです。それでも10人ほどでよもやま話が始まりました。2時間ほどすると雨も上がりました。おかげで涼しい夜になり、心地よく眠ることが出来ました。

 滞在中の多くは、読書とDVD鑑賞(映画や喜劇芝居)で過ごしました。そして本の整理です。今までに運んできた中から、もう再読はしないと思うものを選び、ゆいま~る那須の図書室に貰ってもらうのです。捨てるのでなく、誰かが読んでくれると思うと気が楽です。

 昼食が済むと、すぐ近くの「森林ノ牧場」に行きます。カフェがあり、ここで採れた牛乳やアイスクリーム、ヨーグルトなどを味わえます。牛肉を使ったランチもあります。ジャージー牛の牛乳は濃厚で美味しいです。新型コロナウイルスの影響下でも、結構お客さんが来ていました。売店には間隔を置きつつ、絶えず順番待ちの列が並んでいました。

 私はいつも冷たいキスミルを注文しました。甘酸っぱくて爽やかな味で、夏にぴったりの飲み物です。すっかり顔なじみになり、お店の人はゆいま~る那須の者だと覚えてくれました。

f:id:yu5na2su7:20200824000118j:plainf:id:yu5na2su7:20200824000206j:plain

  「森林ノ牧場」のカフェ           牧場へはここから

f:id:yu5na2su7:20200824000627j:plainf:id:yu5na2su7:20200824000742j:plain

 

■打たれるほど輝きを増す、鋼のような

 私の居室にはWi-Fi設備がありません。テレビも置いていません。牧場カフェ内にはフリーWi-Fiが設置されています。私はipadを持ち寄り、メールやネットを楽しみました。そこで、映画『瞽女GOZE』(瀧澤正治監督)が上映されることを知りました。盲目旅芸人(瞽女)の小林ハルさんを描いた作品です。

 私は作家下重暁子氏が書いた『鋼の女』(講談社)を読んで、小林ハルさんを知りました。下重氏は初めて小林ハルさんを見た時、その凛とした姿に惹かれ、唄声を聞いて心打たれ、ぜひ小林ハルさんのことを書きたいと願って取材し、『鋼の女』を著しました。

 その中に小林ハルさんの、「いい人と歩けば祭り 悪い人と歩けば修行」という言葉があります。いい人と一緒に旅をする時はお祭りのように楽しい。いやな人、意地悪な人と旅をする時は、すべて修行だと思って耐えるという意味です。

 下重さんは、辛いことがあった時、そっとこの言葉を呟くというのです。人生には辛い時も悲しい事もある。それを乗り越えるための応援歌にしているそうです。

 「鋼の女」とは、打たれれば打たれるほど輝きを増す、鋼(はがね)のような女(ひと)という意味が込められているとのことです。

f:id:yu5na2su7:20200824001021j:plain

 小林ハルさんは幼くして光を失い、10歳に満たぬ身で瞽女となりました。女4人が連れ立って、三味線を抱えて農村地帯を回り、歌を唄って生活するのです。

 女4人というのは、先頭が目の見える手引き女。後の3人は盲目の人です。師匠、姉弟子、小林ハルという順番です。歩くときは左手を前の人の肩に添え、目の見える手引き女の先導で行くのです。

 瞽女の世界は掟やしきたりが厳しく、中には意地の悪い師匠や姉弟子がいたのです。盲目の小林ハルさんは、誰かの助けを得なければ歩けません。誰かと一緒でなければ食べていけません。どんなに意地悪されようが、冷たくされようが、他人のお世話にならねば生きていけなかったのです。

 そうした絶対条件の中で、自分自身に言い聞かせた言葉が、「いい人と歩けば祭り 悪い人と歩けば修行」なのでした。歩くとは、「一緒に仕事をする」ということです。

かって農村社会の中で、祭りは年に1度か2度の行事でした。ほとんどの日々は厳しい労働に費やされました。小林ハルさんにとっても、祭りと思える瞽女の旅はめったになく、そのほとんどが修行と思わねばならぬ旅なのでした。

 

 下重氏と同じように、小林ハルさんに惹かれたひとりの画家がいました。その凛としたたたずまいに魅せられ、小林ハルさんを描きたいと願ったそうです。

 いざ描く段になって、小林ハルさんの所に行く時、その画家は車という交通手段を使いませんでした。自分で歩いて、雪や冷たい風に打たれ、毎回毎回通ったとのことです。自分をそうした厳しい状況に置かなければ、とても小林ハルさんと向き合って、絵を描くことなど出来なかったと言います。

 小林ハルさんがどんな人であるかを彷彿させる、とても具体的なエピソードだと思います。その小林ハルさんは平成17年4月、105歳で天寿を全うされました。

 私はぜひこの映画を見たいと思っています。そして、コロナ禍と残暑でうんざりしている自分を叱咤したいのです。