木もれ陽ベンチ

神奈川県川崎市在住の70代後半男性。栃木県那須町の高齢者住宅「ゆいま~る那須」を契約。90代後半の母の介護があり完全移住ではありません。現在は別荘気分で使用しています。

【第25回】「内観」の思い出

■悩んで「内観」に出合う

 新型コロナウイルスによる緊急事態宣言も解除され、少しずつ日常生活が戻ってきました。ともかく、出来るだけ人に近づくな、離れていなさいという通達は異様でした。ちょっと店員さんに声をかけるのも、マスクをしての透明ビニール越しです。人と話すことが、何か悪いことのように思えてしまいます。

 そのような不自由な日々を送っていく中で、ふと思い出したことがありました。今から45年も昔のこと、わずか5日間ですがじっと部屋に籠もって、人と話をしない時間を過ごしたことがあったのです。

 

 「内観」という体験でした。「内観」とは、ひと言で言えば、自分を反省することです。「内観」のことを知ったのは、創始者である吉本伊信氏(以下吉本先生)の『内観四十年』(春秋社)という本を読んだのが切っ掛けです。

 当時、私は27歳でした。自分の暗い内向的な性格に悩んでいました。何とかしたいと思い、人生書や心理学の本を読みました。そんな時に「内観」で自分を変えることができる、人生を明るく考えられる方法があると知りました。ぜひ体験しょうと思い、会社の夏休み期間に行きました。

 

■屏風の中に独り

 場所は奈良県大和郡山市内です。大きな2階建ての民家(吉本先生の自宅)に「内観研修所」がありました。此処で研修を受ける上での、決まりごとがあります。

 

  1. 研修期間は1週間 (初歩の基礎コース)
  2. 朝5時に起床して、夜9時に就寝 
  3. 回りの体験者とムダ話、私語はつつしむこと 
  4. トイレ、風呂の用事以外は勝手に動き回らぬこと

 

 2階に8畳の和室が4部屋ありました。内観者はその四隅に各々屏風を立てられ、その中で「内観」をするのです。つまり8畳の和室には、4人が居ることになります。内観者は屏風で仕切られた1畳ほどの広さの中に、朝5時~夜9時まで、独りでいるのです。

 食事はその屏風の中まで、お膳に乗せて運んできてくれます。トイレ、風呂、就寝以外は、その場を離れずに、終日屏風の中に居ることになります。これらはすべて「内観」に集中するためです。外の世界から遮断し、ひたすら「内観」するための方法なのです。

 

■自分を調べる

 実際に私が受けた「内観」研修は次のようなものでした。

 朝5時起床。布団をたたみ、洗面を済ませると、決められた屏風の中に座ります。7時頃朝食が運ばれます。9時になると吉本先生が屏風を開けて、面接に来ます。この時、吉本先生は私に向かって合掌し、深々と頭を下げられます。初めてそのようにされた時は、真実驚きました。これは「内観」というものに対する、吉本先生の敬意の表れであり、面接の度にこのようにして下さるのです。

 この面接に当たっては、事前に課題が与えられます。最初は、自分が小学校低学年時の、母親に対する次の3点を思い出す(調べる)のです。

 

  1. 母親に自分がしてもらったこと。 
  2. 母親に自分がして返したこと。 
  3. 母親に一番迷惑をかけたこと。 

 

  面接というのは、この3点について調べたことを、吉本先生に報告するのです。しかし、思い出したことを全部報告するのではありません。過去のいろいろなことの中から、課題に合った事実を、具体的にひとつかふたつ述べればいいのです。

 面接時間は3分位の短い時間で終わります。吉本先生は、報告に対する感想とか説教ということはしません。内観者が課題に沿っているか、見当はずれな方向にいっていないかを確認するだけです。そして、「次は小学校高学年の時の、母親に対する自分を調べるように」と言って去ります。

 また、内観者の中で、母親が早くに亡くなっていて、本人にあまり思い出がない場合には、父親やあるいは一番身近にいて、自分の世話をしてくれた人に対して、思い出すように指示されます。

 昼12時になると、食事を持ってきてくれます。13時頃、吉本先生が面接に来ます。朝と同じように、私に向かって合掌し、深々と頭を下げられます。そして、私は小学校高学年の時の、母親に対する自分を調べたことを報告します。

 吉本先生は、黙ってそれらを聞いて、「次は中学校1年生の時の、母親に対する自分を調べるように」と言って、立ち去ります。夕方と夜にも面接があり、夜9時に就寝となります。

 

 このようにして、高校時代、20歳の頃、そして最近までの母親に対する自分を調べていきます。母親が終わると、今度は父親に対して、同じように小学校低学年から最近の頃までを調べて、吉本先生に報告するのです。

 先程も述べましたが、当時27歳の私は何とか自分を変えたいと思って、「内観」体験にきたのです。暗い性格を何とかしたいと思って、この内観研修所に来たのです。

 しかるに一体これは何だろう。ただ母や父に自分がしてもらったこと、して返したこと、迷惑をかけたことを思い出して、いったい何になるのだろう。そんな疑問を持ってしまいました。面接の時、吉本先生にその旨を問いました。吉本先生は、それが「内観」の基本だから、しっかりやるようにと言われました。

 

■「内観」に集中できなかった私

 お風呂は、20分間以内と決められて順番に入ります。食事の時も、お風呂に入っている時も、常に与えられた課題の事を考えるようにと言われます。しかし、そんなに集中できるものではありません。3~4時間おきに、吉本先生が面接に来られますが、私は与えられた課題に対し、適当な思い出が浮かんだら、あとはボ~ッと雑念をしている始末でした。

 毎朝5時になると、鴨居の上にあるスピーカーからテープの声が流れてきます。過去に「内観」を受けた方の、実況場面の録音です。優れた「内観」体験者の、面接を受けている場面を聞かせてくれるのです。もちろん本人の承諾を得たものです。

 そのテープの内観者は、自分がいかに母親にお世話になったか。それに対して何もお返しをしていない自分。ただ唯わがままを言って、迷惑をかけてばかりの自分を、心から反省しているのです。

 母親にだけではありません。父親にも、兄弟に対しても、自分がどうであったかを反省しています。いかに自分はしてもらうことの多かったことか。それに対して感謝するどころか、不平不満を述べていた自分。あんなに迷惑をかけていても、自分を許し愛情を持って接してくれた、母や父の姿を思い浮かべて語っているのです。申し訳ない気持ちと同時に、感謝の気持ちにあふれ、何とかそれに報いたいと、気持ちが変わってくる様子が伝わってきます。

 そうした「内観」を続ける内に、会社内において仲の良くなかった同僚や、嫌いだった上司に対しても、謙虚な気持ちで振り返る事が出来るようになり、人間関係も変わってきたと語っています。

 

 そのようなテープを聴くと、私はいかに自分の「内観」が浅いかが分かり、もっと真面目にやらねばという気持ちになります。しかし、いざ自分が「内観」するとなると、いろいろ雑念が湧いてきて、一向に深くなりません。あげくの果ては、親が子の面倒を見るのは当たり前だ。不平不満があるからこそ、人間は進歩があるのだなどと、自分の都合の良い屁理屈ばかりを考える始末でした。そのくせ、吉本先生との面接の場面では、いかにもしおらしく反省しているそぶりをする自分でした。

 通常は1週間の研修期間のところ、私は会社の夏休みの都合や、せっかく奈良に来たのだから、せめて1日は奈良見物したいと思い、5日間の研修で終わってしまいました。研修期間中、吉本先生以外とは、ほとんど誰とも口をきかなかったのですが、私は少しも苦ではありませんでした。淋しくありませんでした。それだけ内向的で暗かったのだと思います。今ではとても耐えられないだろうと思います。

 

■ゆいま~る那須で楽しみにしている事

 そんな有り様でしたから、「内観」を体験したなどとはとても言えません。いい加減にその場を取り繕う、真剣さのない私でした。ただあのような世界があることを知ったのは、貴重な経験でした。45年経った今では懐かしい思い出です。

 年を取る良さとは、いろんなことが思い出に変わることではないでしょうか。過去を振り返ることは、決して後ろ向きなことではありません。自分の人生を見つめ直します。私がゆいま~る那須に完全移住した時、楽しみにしているのは、居住者同士のそうした思い出話を聞かせてもらったり、自分も語ることです。そこに人と触れ合うことの楽しさと意味があるのだと思います。

f:id:yu5na2su7:20200609094346j:plain

当時の申し込み説明書が出てきました