木もれ陽ベンチ

神奈川県川崎市在住の70代後半男性。栃木県那須町の高齢者住宅「ゆいま~る那須」を契約。90代後半の母の介護があり完全移住ではありません。現在は別荘気分で使用しています。

【第24回】私の好きな作家・遠藤周作

■「洋服」を「和服」に仕立て直す

 前回はゆいま~る那須の図書室を紹介しました。居住者が提供した沢山の書物が並んでいます。それら背表紙に刻まれたタイトルを眺めているだけでも、どんな作品かと想像して楽しくなります。そこで今回は、私の好きな作家・遠藤周作のことを書きます。

 初めて読んだ遠藤周作の本は、狐狸庵閑話(こりあんかんわ)シリーズでした。狐狸庵閑話は関西弁の「コリャ アカンワ」をもじったとある様に、肩のこらない楽しいエッセイ集です。その内に小説なども読むようになり、遠藤氏が弱い者、ダメな者、惨めな者に寄り添い、優しい眼差しを向ける姿勢に惹かれていきました。幾つかの作品を読む内に、遠藤氏がそうした作品を書く背景には、次の3点があると思いました。

1.少年時代に両親が離婚し、母親の元で育てられた。

2.自覚のないままキリスト教カトリック)の洗礼を受けた。

3.結核で3年間の闘病生活を余儀なくされた。

 

 遠藤氏の小説家としての根っこを考える時、少年時代にキリスト教の洗礼を受けたことが大きいと思います。しかしその洗礼ははっきりとした自覚があってのものではありませんでした。熱心な信者だった母親に教会へ連れられて、遊んだりお菓子をもらえる楽しさの中で、「神を信じますか」という問いに対し、無自覚に「信じます」と答えてしまい、何も分からないままの洗礼だったと言います。

 長じて文学青年となり、このお仕着せのキリスト教が自分に合わず、何度捨てようかと悩んだそうです。しかし、母親があれほど大切にしていたものを無闇に捨てられず、また捨てると何も着ていない、裸になってしまう自分がそこにいたのです。

 そうした信仰に対する煩悶を通し、「このお仕着せのだぶだぶの洋服を、日本人に合った和服に仕立て直す」ことが、我が文学の道と決めたのでした。

 

■代表作「沈黙」

 小説『沈黙』(新潮社)という作品は、そうした意味でとても大事な作品です。遠藤文学の代表作です。あらすじを簡単に言いますと……。

 日本が切支丹禁制の江戸時代、ポルトガルからロドリゴという司祭が布教のため日本にやってきます。しかし長崎奉行所の追手に捕らえられてしまいます。そして穴づるしの拷問を受けている3人の百姓(信徒)を見せつけられ、お前が踏絵に足を掛ければ、百姓を解放してやると言われます。

 拷問に苦しむ百姓たちの姿に耐えられず、遂にロドリゴは踏絵を踏もうとします。その時、『踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ』というキリストの声が聞こえてくるのでした。その言葉に導かれるようにして、ロドリゴは踏絵に足を掛けたのであります。

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代表作『沈黙』

■自分だったら、どうする?

 「踏絵」を踏むことは背教を意味します。波濤万里、1年以上もかけて日本へ布教のために来た司祭にとって、踏絵に足を掛けることは絶対に許されないことでした。踏絵を拒み、拷問に晒され、殉教することこそ正しく美しい、神への道とされていました。しかし遠藤周作は、「踏絵」を踏むことも、神への道に通ずると表明したのです。この小説への評価は賛否両論あり、一部のキリスト教会では、この本を禁止書扱いにしました。

 この『沈黙』という作品の着想は、遠藤氏が長崎の資料館で1枚の「踏絵」を見たことから始まったと言います。氏は、もし自分がキリシタン弾圧の時代に生きて、踏絵を前にした時、断固として拒み、拷問に耐えられるかと自問しました。

 そして、自分は「踏む」側の人間でしかないと分ったのです。肉体的な痛さ、死の恐怖に怯え、真っ先に「踏絵」に足を下ろす、弱い人間であると。

 しかし信者にとって、この世で自分が一番信じたもの、正しく清いと思ったものの顔を踏まねばならぬ時、その足はどんなに痛く、重くつらいものであるか……。

 

■日本人に合ったキリスト教

 そうした忍従を続け、長い間信仰を守り続けてきた集団に「かくれ切支丹」がいます。表向きは仏教徒を装い、毎年役人の前では「踏絵」に足を掛け、密かにキリスト信仰を守り続けてきた人々です。

 遠藤氏は、この「かくれ切支丹」が存続してきた中に、日本人としての独特なキリスト教観を見ます。それはマリア観音信仰です。一見すると、仏教の観音像に見えるが、それは役人の目をごまかすために観音様の姿をしているだけで、彼らにとってはマリア様なのです。

 なぜマリア様なのか……。西洋の神は、間違ったこと、不正なことに対しては、厳しく罰し、怒り、厳格な規律を求めます。日本に伝わって来たキリスト教もそうでした。しかし「かくれ切支丹」は生き延びるために、役人の前で、自分は信者ではないと、心ならずもイエスの顔を踏まなければなりません。心の中に後ろめたさや後悔、怯えを抱いています。

 そうした中からいつしか、許してくれる神、罰するのではなく、温かく庇ってくれる優しい母のような存在を求めるようになりました。それがマリア信仰です。西洋の父の神に対して、母親のような神を求めるようになったのです。

 

 遠藤氏はそこから、今までにない新しいキリスト像を模索しました。西洋とは違う、日本の風土に合ったキリスト教です。それを小説『沈黙』の中で描いたのです。小説家になる時に志した、だぶだぶの洋服(西洋の神)を、日本人に合った和服(母なる神)に仕立て直したのです。

 「踏み絵」は江戸時代のものですが、現代でも違った形での「踏み絵」があると思います。家族や生活を守るため、また性格や体の弱さのため、心ならずも自分の信念や大切なものを捨てなければならない。そんなつらい思いを抱いた者にとって、「踏むがいい……」のラストシーンには、何か一筋の光を見出すのではないでしょうか。

 

■大いなる世界へ

 『沈黙』はいわゆる純文学ですが、キリスト教信者でない私は、むしろ狐狸庵ものと言われる雑文やエッセイの方が好きなのです。例えば、犬についての話にこんなのがあります。

 幼少期、遠藤氏は旧満州の大連に住んでいました。両親が不仲になり、学校から帰ると、母親は暗い顔をして泣いています。そうした顔を見るのがつらくて、周作少年は夕方まで家に帰りませんでした。そんな時、いつも傍にいてくれたのは飼っていたクロという小犬です。周作少年は、「淋しいよ」と犬に向かって話しかけます。クロは濡れたような眼で少年を見つめます。

 両親が離婚することになり、周作少年は母親に連れられて日本に帰ることになりました。いよいよ大連を立つ日のこと。クロは気配を感じたのか、周作少年を乗せて去っていく馬車を、いつまでも追いかけていくのでした。

 やがて疲れたのか、クロの走りが遅くなり、姿がだんだん小さくなっていきました。その時の悲しげなクロの眼が忘れられないというものです。

 

 晩年の作品は『深い河』(講談社)という小説です。そこではキリスト教とかヒンズー教、仏教などというものを超えた、もっと大いなる世界が描かれているように思われます。

 そしてその大いなる世界は、濡れたような眼で周作少年を見つめ、大連を去る馬車をどこまでも追いかけたクロの姿と、どこかでつながっているように思います。そういう遠藤文学に私は惹かれるのであります。

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晩年作『深い河』