木もれ陽ベンチ

神奈川県川崎市在住の70代後半男性。栃木県那須町の高齢者住宅「ゆいま~る那須」を契約。90代後半の母の介護があり完全移住ではありません。現在は別荘気分で使用しています。

【第31回】母のルーティン

■94歳を迎えた母

 私の母は先月の18日に94歳になりました。70歳半ばから足が弱くなっており、歩くことが不自由です。家の中に独りでいるのを不安がり、誰かが傍に居なければなりません。通常は私が見ています。母は日中の大半はベッドで横になっています。それでもトイレには、手すりや台に掴まりながら自力で行けます。

 夕方になると、台所に立って夕食の下拵えをします。野菜を切ったりぬか味噌を漬けたりします。週に1度は私の弟の車に乗って、近くのスーパーに買い物に行きます。車椅子を押してもらいながら、必要な食材や日用品などを指図して、買い物かごに入れさせます。ひと月に1度は美容院に行って髪を整えます。

 昼食後には新聞を読みます。夕食の後にはテレビを見ます。白内障の手術をしてから、細かい字もテレビもよく見えると言っています。ただし左目だけです。右目はほとんど見えません。

 幸い認知症の心配はなく、しっかりと会話が出来るのが有難いです。時には私と口喧嘩するほどです。この味が濃いとか薄いとか、今日は暑いとか暑くないとか、食事時に見るテレビのチャンネル争い。そんなつまらぬことで言い合いをします。時には憎らしく思う時もありますが、それだけ気持ちがハッキリしていて元気なことは嬉しいものです。

 

■急な変化もある

 普段の状態はだいたいそんなところです。しかし、急に変化することもあります。昨夜まで何でもなかったのに、今朝は元気がなくグッタリということもあります。特に原因というのがないのです。90歳を過ぎた頃から、そうしたことが多くなりました。そういう年齢になってみないと分からない部分というものがあるようです。

 実は7月の下旬頃に、やはり急に体力が落ちたことがありました。朝起きても食欲がない。すぐベッドに横になってしまう。動かないからお腹も空かない。昼食もろくに手を付けない。無理に食べさせようとすると、「気持ち悪い、吐き気がする」と言います。自力でトイレに行くのがやっとという感じです。

 痩せて肉がありません。骨がゴツゴツしています。週に1回の買い物も、たまの美容院にも行く気力がないようです。何しろ食べないのだから、どんどん弱っていきます。もしかしたら、94歳の誕生日を迎えるのは無理かも知れない……。そんな不安もよぎりました。

 

 たまたま読んだ本に、『人間は死が近くなるとものを食べなくなる。それが自然な姿なのだ。無理に病院に連れて行くと、やれ点滴だ検査だとなって、その自然な状態を人工的に壊してしまう。却って苦しい思いをさせることになる』などと書いてありました。特にこれといった病気はない母です。やはりもう寿命なのか、94歳近い年齢を考えると、そうした覚悟も必要かもしれないと思うようになりました。

 ところが8月の半ば近くになると、急に元気になりました。食事も小食ながら3度3度手を付けました。晩酌のビールも飲むようになりました。そうして少しずつ体力がついて、無事94歳の誕生日を迎えたのです。原因は分かりません。強いて言えば、この夏の暑さに順応出来てきたということでしょうか。今では普段通りの生活が出来ています。

 

■寂しさを受け入れて

 母は3カ月に1度の割合で、定期的に身体の状態を病院で診てもらっています。持病はないのですが、足がむくんだり便秘しがちなのを薬で調整しています。ここ半年ばかりは新型コロナウイルスの関係で、通院せずに電話による問診で済ませ、薬だけを処方してもらっていました。しかしたまには医師による実際の診察も必要だと思いました。母も納得して久しぶりに病院に行きました。今のところ特に問題はないと言われました。

 体調の方は、そうした波がありながら、年相応に何とか保っています。もうひとつ大事なのは気持ちのありようです。人との交流です。その意味では最近、母にとっては寂しいことが続きました。親しい人との別れです。1年前には女学校時代の友人J子さんを亡くしました。

 J子さんは肺機能が弱っていて酸素吸入器を離せない人でした。耳も遠く、電話での会話もままなりません。それでも年に1回の賀状やお歳暮のやり取りをしていました。例え会話が出来なくとも、J子さんを思い出すことで、かっての交流や若かった自分を振り返るよすがとなっていたのです。亡くなった今は、そうしたことを思い出す切っ掛けさえ、少なくなってしまったのです。

 

 また今年の3月には3歳下の弟(私にとっては叔父)が逝きました。そして8月の下旬には2歳上の姉(私にとっては伯母)が亡くなりました。訃報を聞いた母は、そんなに驚いた様子は見せませんでした。母は9人姉弟の3女です。今度は自分の番だというようなことを呟いています。それだけ死を身近に、少しずつ心準備をしているように見えます。

 そして今回の新型コロナウイルス禍です。例年ならば、年に1,2回かは妹たちを家に呼び、食事をしながら昔話をするのを楽しみにしていました。今年はそうした機会も持てません。たまに電話で話すくらいが慰めのようです。そうした僅かな楽しみさえもなくなったというのは、寂しいことです。

 

 母は夜寝るのが遅いです。息子の私たちが寝床に就いても、まだ洗面所にいます。顔を洗ったり歯を磨いています。夜の12時も過ぎた頃、湯沸かし器の電源を切り、洗面所の照明を落とし、自分のベッドに向かいます。

 もっと早く寝るようにと言っても、絶対に聞きません。自分が一番最後であり、そうすることが役目だと思っているのです。それが母親としての1日の締め括りなのです。

私は、そうしたことが出来ている間は元気な証拠だと思って、母のルーティンを嬉しく思っています。