木もれ陽ベンチ

神奈川県川崎市在住の70代後半男性。栃木県那須町の高齢者住宅「ゆいま~る那須」を契約。90代後半の母の介護があり完全移住ではありません。現在は別荘気分で使用しています。

【第28回】 “ちょっと”から始まる相互扶助

■電気冷蔵庫のなかった頃は

 向う三軒両隣りとは、隣近所の付き合いの大切さを言ったものですね。昭和30年、私が小学2年生の時、わが家はこの川崎へ引っ越してきました。65年間も同じ地に住んでいることになります。それ故、隣近所との付き合いも長いです。向う三軒両隣りとは、つまり5軒のことを言いますが、その内の4軒とは、引っ越して来た当時からの付き合いになります。わが家の近辺はマンションやアパートが少なくて、殆どが一軒家なのでお互いこの地に長く住んでいます。そして人間関係はと言えば、極めて良い状態だと言っていいと思います。これはとても恵まれたことです。

 

 近所との良い人間関係を築いてこられたのは母のおかげです。引っ越してきた昭和30年と言えば、私は8歳、弟はまだ生まれていませんでした。父は東京の蒲田にある工場で働いていました。地域に寄り添い隣近所との人間関係を広げていったのは母なのです。また、世の中の風習もそうしたものでした。

 主婦のほとんどは家事に専念し、今のように外で働くということはありませんでした。電気冷蔵庫などなかったので、食料はその日に買ったものを食しました。毎日商店街に買い物に行きます。申し合わせたように、隣人と連れ立って行きます。行き帰りには、おしゃべりをします。

 この雑談がとても良かったのです。言ってみれば井戸端会議です。それこそ、身内のことや家計のこと、家の者には話せないようなことも喋ります。それらを通して諸々の情報交換をしていたのです。

 

■長年に培った近隣との「よしみ」

 また家の塀や垣根も、現在のようにきっちりしたものではありませんでした。隣どおし自由に出入り出来るような、どこかゆるやかな所がありました。玄関の鍵も日中はめったにかけませんでした。庭先や縁側に気兼ねなく行き来していました。この庭先や縁側がよかったのです。わざわざ玄関を通すことなく、気軽に顔を出して二言三言声をかける中で、自然と相手の様子がわかり、互いの疎通がはかれていたのです。

 隣近所と親交を交わしてきた母も、今では93歳です。そして65年間に築いてきた、隣近所との「よしみ」というものがあります。

 

 かなり前のことになりますが、こんなことがありました。私は用事があって、昼間4時間ほど外出した時の事です。

 母は高齢な上に足が弱っていて歩行がままなりません。何かのはずみで床に倒れたりすると、自力では起き上がることが出来ません。誰かの介助を必要とします。実はその4時間ほど私が出掛けた時に、母は足を滑らして、床に腰を落としてしまったのです。自力で起ち上がろうと、何度か試みましたが無理なことでした。傍に携帯電話があったのが幸いでした。隣家のK子さんに電話をして、起き上がるのを助けてもらえるよう頼んだのです。

 K子さんは近くのコンビニに居ましたが、すぐわが家に来てくれました。玄関には鍵がかかっていますが、庭に面する居間のガラス戸には鍵をかけていません。勝手知ったるK子さんは、ごく自然に部屋へ入り、起き上がる手助けをしてくれました。

 母は別段迷惑をかけたと負担にも思わず、K子さんも、さも当たり前のような感じで手伝ってくれました。以上のことは私が夕方帰宅した時に、こんな事があったよと、母から聞いたのです。

 相互扶助などというと、なにやら堅苦しく感じられますが、実はこんなことでいいのだと思います。ちょっと手を貸す。ちょっとおせっかいをする。ちょっと声をかけてみる。この、ちょっとが大事なのです。

 

■変わってきた近所との関わり方

 しかしこのような事は、母にとっては至極普通のことですが、昨今の世間一般では、中々難しいようです。もし私が母の立場だったとして、家に誰も居ない時、自力で起き上がることが出来ない体を、誰かに助けてもらいたいと、声をかけられるだろうかと考えた時、かなり難しいと言わざるを得ません。

 近所との関わり方が母の時とは違っているのです。私には、「部屋に来て手を貸して」と、気楽に声をかけられる隣人がいません。顔が合えば、もちろん挨拶や会釈程度はします。しかしそれ以上の踏み込んだ会話はありません。日常の情報などは様々なメディアがあり、会話をしなくとも耳に入ってきます。

 周りの何軒かには防犯カメラやベルが設置され、門はきちんと閉められています。せっかく南向きの窓なのに、昼間から雨戸が閉まっている家もあります。世の中が物騒になった、何が起こるか分らないという用心もあるのでしょう。また個人情報保護法といったものが、目には見えない互いの壁を作っているような感じもあります。

 

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65年間住み続けているわが家の近所風景

■ゆいま~る那須の「エンガワドマ」

 私が、ゆいま~る那須を選んだ理由のひとつは、もう少し人との交流をはかりたいと思ったからです。「ゆいま~る」とは、沖縄の方言で、『助け合う』 『共同作業』 『一緒にがんばろう』といった、人間同士の絆を表している言葉です。

 ゆいま~る那須の住居は、A~Eの5つの棟で構成されています。各棟には庇付きの通路があり、傘がなくとも互いの居室に行き来出来ます。また玄関は、「エンガワドマ」と称して、開放的なガラス戸になっています。「縁側」と「土間」の要素を取り入れて、プライバシーは守りながら、居住者同士声をかけやすい雰囲気を作っています。

 そこから、「ちょっと手を貸す。ちょっとおせっかいをする」というコミュニティが生まれてくるのです。もちろん、これらはお膳立てしてあるのでなく、居住者同士の和と協力で作られていくものです。

 とは言うものの、元来人付き合いのヘタな私です。この“ちょっと”がなかなか出来ないのです。人との交流をはかりたいと思っていながら、こんなことではいけません。つまずきながらも少しずつ実践していこうと思っています。