木もれ陽ベンチ

神奈川県川崎市在住の70代後半男性。栃木県那須町の高齢者住宅「ゆいま~る那須」を契約。90代後半の母の介護があり完全移住ではありません。現在は別荘気分で使用しています。

【第46回】 コロナ禍でのささやかな願い  

 94歳のわが母は、予約が取れた新型コロナワクチン接種を、いろいろ迷った結果、最終的には「受けない」と自分で決めました。母なりに考えてのことだと思います。そして、73歳の私にも先月26日に接種券が届きました。予約をするためのログインIDとパスワードが載っていました。予約受付開始日は翌6月5日(土)午前8時30分からとありました。母の予約時の状況から推して、電話での申し込みは到底難しいと思いました。予約サイトですることにしました。

 さぞ6月5日は朝から申し込みが殺到するに違いない。万全を期して臨まねば。当日は何かと忙しいことだろう。面倒だなとぼやいていた2,3日後のことでした。新聞のチラシで、この自治体の集団接種とは別に、協力医療機関での接種案内が載っていました。そこでなら6月5日を待たなく、もっと早く予約が出来るようでした。

 

 早速電話をかけてみました。しかし、いくらかけても通話中でつながりません。それでも根気よく試してみました。けれど何度かけても話し中です。もういい加減あきらめようとした時、運良く電話がつながりました。あっけないほど簡単に接種予約ができました。1回目が6月5日(これはもう接種済みです)で、2回目が6月26日と決まりました(いよいよ明日です)。あの時あきらめずに電話をかけ続けて良かったと思います。

 因みに、私の知人が予約受付開始日の6月5日に予約サイトで申し込んだところ、実際の接種実行日は7月の中旬になったとのことでした。予約を申し込んでから1カ月半も待たねばならないのです。みんなが躍起になるのも無理ありません。

 

 さて、この21日から沖縄を除く9都道府県は、緊急事態宣言が解除されました。大きく変わったのは、飲食店での酒類の提供が条件付きで緩和されたことです。東京都の場合では、同一グループ2人以内 滞在時間は90分 午前11時から午後7時までの提供となっています。食事と会話をしながらの酒席としては物足りないものがあります。飲食店側としても商売としてはつらいと思います。何か中途半端な感じでトラブルが起きはしないかと心配な部分もあります。難しいところです。

 ただ私個人としては、ホッとしたところがあるのです。私は週に2度ばかり昼食にラーメン屋を利用しているのです。日曜日の昼食は大抵ラーメンを食べます。その時にいつも酎ハイを1杯飲みます。木曜日の昼食にはチャーハンの持ち帰りを頼みます。母との2人前を作ってもらい家で食べます。そしてチャーハンの出来上がる間に酎ハイを1杯飲みます。昼に飲むアルコールは格別なものがあります。ちょっと贅沢で得をした気分になれるのです。

 

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 ところが緊急事態宣言が発令中は、この1杯ができなかったのです。私の住む川崎はまん延防止措置でしたが、やはりアルコールは終日禁止なのでした。その間、木曜日のチャーハン持ち帰りは続けましたが、日曜日のラーメン屋行きは止めました。ただラーメンを食べに行くだけでは、何とも味気ないのでした。それならば家で即席ラーメンを作ればいいだけのことです。

 かと言って、では即席ラーメンで缶ビールでも飲むかというと、そんな気にもならないのです。やはりお店に行って、ラーメンを作ってもらい、その時に1杯を味わうのでなければいけないのです。そう気分の問題なのです。まん延防止措置期間中は、この気分が味わえなかったのです。

 私は思いました。ラーメン屋のカウンターに1人で座り、食事と一緒にちょっと1杯飲むのも禁止された訳ですが、一体こんなことに何の意味があるのかと。ひとり静かに酒を味わう楽しみまで奪う必要はないではないかと。

 しかし実際にとなると、どこまでが許容していいのかという線引きが難しく、一律に禁止としたのでしょう。現在川崎市では、同一グループ4人以内 滞在時間は90分 午後7時までの酒類提供が可能となりました。もしまた緊急事態宣言が発令されると、再び酒類の提供は禁止となるのでしよう。そんな場合でも、カウンターで1人、食事と一緒にちょっと1杯飲むのは、特例として認めてもらえないものだろうか‥‥。

 

 昨日の木曜日、チャーハンの持ち帰りを頼み、料理が出来上がるほんのひと時、久しぶりに酎ハイを1杯飲みました。旨い!やはりお店で昼に飲むアルコールは別格です。ちょっと贅沢で得をした気分です。どうかこのささやかな楽しみを奪わないでほしいものである。

 出来上がったチャーハンを、ほろ酔い気分でぶら下げながら、しかしこんな戯けた願いなど、誰も聞いてくれる人はないだろうと、寂しく家路に向かうのでありました。