木もれ陽ベンチ

神奈川県川崎市在住の70代後半男性。栃木県那須町の高齢者住宅「ゆいま~る那須」を契約。90代後半の母の介護があり完全移住ではありません。現在は別荘気分で使用しています。

【第35回】樋口恵子さんの「老~い、どん!」

■私も仲間入り

 翌12月になると私は73歳になります。後期高齢者と呼ばれるのも間もなくでしょう。あれは中学生の遠足の時でした。バスガイドさんが何かの話から、「皆さんは幾つくらいまで生きたいですか?」と問いかけました。私は「70歳」と答えたのを覚えています。何を根拠にそう言ったのかは分りません。ただ70歳という年齢がはるか遠く、えらく年取ったお爺さんに思えていたことは確かです。

 そんな自分が既に70を越しているのです。考えてみると空恐ろしいことであります。気持ちの上ではそんなに老いたという感じはありません。しかし身体の方は間違いなく衰えています。

 今一番困っているのは腰部脊柱管狭窄症という症状です。少し歩くと足裏が痺れ、脚全体が重くなります。その日によって症状は違います。原因の多くは加齢だそうです。医師はMRI画像を見て、いつ手術してもおかしくない状態だと言いました。背中にメスを入れられるのが恐くて、騙しだましして凌いでいます。

 健康診断を受ければ、血圧が高くて服薬を強いられ、血糖値も危ない数値です。老眼が進み、文字を見る時はメガネを取り替えねばなりません。部屋で何でもない段差につまずき、足指を痛めるのはしょっちゅうです。ちょっと置いたものが、どこにあるのか忘れて、探すのにひと苦労です。確実に老人の仲間入りです。

 そんな時、樋口恵子さん(88歳)がテレビ出演し、自らの老いを語っているのを見ました。その中で、上梓された『老~い、どん!』(婦人之友社)という本も紹介していました。副題は「あなたにもヨタヘロ期がやってくる」です。正に私にぴったりの本でした。今回は樋口恵子さんのテレビでのお話と本の中から、特に印象に残ったことを書きたいと思います。

 

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■楽(らく)したいという癖

 この「ヨタヘロ期」という言葉は、『百まで生きる覚悟』(光文社新書)の著者である春日キスヨさんに教わったそうです。よく、「同じ死ぬなら、ピンピンコロリといきたいものだ」と人は言うが、そんな人は滅多に居るものではない。ほとんどの人は、ピンピン→スタスタの時期が来て、ヨタヨタ→ヘロヘロが続き、やがてドタリとなって「寝たきり」になり、苦しんだ挙句ようやく往生ができるのである。このことを覚悟しなければならないと。

 樋口さんは正に今、自分がこの「ヨタヘロ期」を、よろめきながら直進していると気づいたと言います。その最たるものが食生活でした。70代の頃は、朝に目が覚めると、お腹が空いたという感触があった。いそいそと食事の支度をした。80歳を越えた頃から朝起きてもお腹が重ったるくて、朝食を作る気にもならない。適当に済ましてしまう。昼は外食の時はしっかり食べるが、家に居る時はいいかげん。夜も料理する気にならず、パンと牛乳で済ましてしまうのが多くなった。つまり、億劫→しんどい→楽(らく)したいという癖がついてしまったそうです。

 さらに追い討ちをかけたのが、家の建て替えでした。築40年以上経って、耐震上に問題があり84歳の時に有り金をはたいて新築した。家財道具の整理は人まかせだった。それゆえ器具や食器の置き場が分らず、調理をサボりがちになった。ものを探すだけでエネルギーを使い果たし、いざ料理となるまでに疲れ果ててしまうのでした。

 建て替えに伴う、2度の引越しは老いた身にはこたえた。息が切れ、足が痛んで歩くのがつらくなった。医師に診てもらったところ、「大変な貧血です。もうちょっと数値が低かったら、輸血しなければいけないところでした」と言われた。こんな大貧血は消化器のがんが疑わしいと、胃や腸の精密検査となった。

 結果、がんの疑いはシロ。判明したのは逆流性食道炎。それによる出血なのでした。そして食生活の乱れによる低栄養。いわゆる栄養失調によるヨタヨタヘロヘロだったのです。

 

■素直に助けを求める

 このことから食生活の大切さを見直したと言います。統計によると同じ食事をするのでも、家で独りで食べる人と、家族と共に食べる人とでは、死亡率が違ってくるそうです。そこでランチ友だちを作って、週に何回かは一緒に食事をするようにした。

 また外食の良さというのにも気づいた。食堂などで例え一緒に食べなくても、他人が食べているのを見る事で、そこからエネルギーをもらっている。外食にはそうしたパワーというものがあるのだと。

 自分で食事を作るのがつらいので、週2回はシルバー人材センターの家事サービスを頼み、食事の支度と家事全般をお願いした。自分は今まで、女性のリーダーとして「強いこと」を自認していた。しかしこれからはすんなりと、「ヘルプ・ミー」と助けを求めると言っています。

 樋口さんは、長いこと1人で旅行したり取材したりする生活の中で、独りで外食することが自然に身についた。一般の人(特に女性)もそうした外食できる度胸が必要だと言います。また、他人に冷蔵庫の開閉、調理台の周辺を快く明け渡すことができるかどうか。出来なくなった自分の弱さを受容する、必要な支援を受け入れる。そうした他者の力を上手に使う能力。「ケアされ上手」になりなさいと言います。

 

■ヨタヘロ期世代の責任

 樋口さんはこの「ヨタヘロ期」を生きるには、3つのショクが大事と言います。

食(ショク)~文字通り食生活

触(ショク)~人と触れ合うこと、コミュニケーション。一緒に食事するのもいい。

職(ショク)~何かの形で少しでもいいから社会とつながること。例えば地域社会の中    で集まってお喋りをしたり、ちょっとしたお手伝いができることなど。

 この「ヨタヘロ期」が、多くの人にとって避けられないものならば、この時期の問題点を見すえ、ソフト、ハードとも、暮らしやすいように再設計してほしい、人生100年の中にしっかり組み入れてほしい、と言っています。道路ぎわのカフェで、道行く人を観察しながらお茶することも社会参加の形である。高齢者が外出することは、健康寿命の延伸に効果があって大事なこと。そうした意味で、街角にはちょっと休める椅子やベンチがほしい。

 そしてトイレの設置。高齢者はトイレが近い。またコントロールが難しい。それが外出をためらってしまう要因の1つである。樋口さんも苦しんだことがあり、今思い出してもぞっとすると言います。駅、公共施設、商店街はじめ街角に、高齢者に使いやすい清潔で安全なトイレの整備を。「快適なトイレ」が条件の異なる万人に保障された社会  --それこそ、その社会の文化のバロメーターではないか、と。

 人生100年社会の初代として、「ヨタヘロ期」を生きる今の70代以上は、気がついたことを指摘し、若い世代に、社会全体に問題提起していく責任があると言っています。この本『老~い、どん!』の帯には、「一歩先を行く樋口オネエサマの老い方からは、目が離せない」と書かれています。テレビで見る樋口さんは、その言葉通りの元気なお姿でした。