木もれ陽ベンチ

神奈川県川崎市在住の70代後半男性。栃木県那須町の高齢者住宅「ゆいま~る那須」を契約。90代後半の母の介護があり完全移住ではありません。現在は別荘気分で使用しています。

【第49回】秋彼岸の墓参り

 このところコロナ感染者が減少しています。もしかしたら緊急事態宣言も解除されるかも知れない。猛暑も過ぎ少しホッとした中で、より期待感が高まります。一昨日21日は中秋の名月でした。私の住む川崎市でも見ることが出来ました。本当にまん丸の月です。世の中はいろいろ変化しているけれど、このお月さんは変わりません。幼い頃に見たのと同じ光景です。このままコロナ感染者が減少して、マスク姿がなくなり、人と普通に交流できる日を願うばかりです。

 

 今日は秋分の日です。お彼岸中は霊園が混雑するため、敬老の日に父の墓参に行ってきました。以前にも記しましたが、私の父は13年前89歳で亡くなりました。福島県白河市(当時は郡)の農家に生まれました。後継ぎの長男でない者は、就学を終えると家を出なければなりません。職を転々とし、昭和31年に、ここ川崎に家を建てました。

そして、故郷を出た者として、早くから墓地を確保することを考えていました。市営の墓地募集に応募し、自宅から車で小1時間のところにある墓地の使用権を得ました。

 

 実は、父が亡くなった時、実際にお墓を建てるかどうか、ちょっと迷った事があるのです。私も弟も子供がいません。せっかくお墓を建てても、いずれは無縁墓になってしまいます。それならば、お墓を建てるのは最初からやめて、いっそどこかのお寺に永代供養を頼み、ゆくゆくは、母や私、弟もそのお世話になる方が、後々のことを考えたら合理的かも知れないと思ったのでした。

 しかし、父はどうだろう。父にしてみれば、まだ少年と言える年頃に故郷を出て、慣れぬ土地で仕事を覚え、家族を養い、老いを迎えました。大正生まれの父にとっては、一家のお墓を用意することは、言ってみれば人生の締め括りのひとつではなかったのではないでしょうか。そういえば、亡くなる2年前まで、墓地に雑草が生い茂ってはいけないと言って、毎年欠かさず草むしりに足を運んでいたものでした。

 

 私や弟はいい。せめて父には、そして母にも、お墓に入って貰おう。いや、お墓を建てるのは子供として当然の務めだと、思い直しました。

 いざお墓を建てようと、本格的に準備をしてみると、既にカロート(納骨棺)などは設置されており、外柵には生まれ故郷の白河石が使われていることを知りました。改めて、お墓に対する父の思いが伝わってきました。

 お墓は洋型墓石にしました。生前の父を知っている、書道の上手な私の友人に「和」という文字を書いてもらい、それを墓石に刻みました。

 

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 春のお彼岸から半年も経つと、お墓に雑草が生い茂っています。梅雨と陽気の良い中で伸び放題です。雑草を抜き墓を掃除し、花を添えて水をかけると清々しくなります。お線香の煙を見て、しばらくぼんやりとします。

 墓参りを済ますと、いつもちょうど昼食時です。以前は近くの食堂に寄り、家族3人でテーブルを囲むのを楽しみにしていました。余り外食をする機会のない母には楽しいひと時でもありました。今はコロナ禍でそうしたことも控えています。早く収束するのを待つばかりです。