木もれ陽ベンチ

神奈川県川崎市在住の70代後半男性。栃木県那須町の高齢者住宅「ゆいま~る那須」を契約。90代後半の母の介護があり完全移住ではありません。現在は別荘気分で使用しています。

【第50回】コロナ禍の中の「ひとりカラオケ」

 このところコロナ感染者数が減少してきています。9月下旬あたりから減り始め、昨日などは東京都で29人、私の住む神奈川県では13人という報道がありました。今までの数字を見てみると、神奈川県の感染者数は、東京都の半分くらいというのが、大雑把ではありますが、ひとつの目安でありました。ところが最近では両者余り変わらず、時には神奈川県の方が多いという日もありました。例えば今月21日では、東京都が36人、神奈川県では39人という結果でした。いずれにしても減少傾向は嬉しい限りです。

 緊急事態宣言も解除され、飲食店での飲酒もOKとなりました。カラオケも出来るようになりました。これから先、忘年会や新年会といった、人との交流が期待されます。

 

 本当にこの2年近い期間、何がつらかったかと言えば、人との交流が制限されたことです。私は日中のほとんどを家の中で過ごすことが多いです。95歳の母は常に誰かが傍にいないと不安がります。自然と母と共に家に居ることになります。73歳の年金暮らしである私は、もともと行動範囲も狭く、交際相手も少ない人間です。コロナ前もコロナ禍の中にあっても、生活自体は実際のところそんなに変化はありませんでした。マスクを着用するのも、近くへ買い物に行ったり、図書館に行く時くらいでした。うっかりマスクをするのを忘れてしまい、慌てて家に取りに行くこともしばしばでした。

 そんな私ですが、いやそんな私だからこそ、年に4回ほどの仲間との集まりや月に1回のカラオケスナック通いが出来なくなったことは、なんとも味気なくつまらないことでした。また年に3回ほどのゆいま~る那須滞在(1回につき4日間位)も制限されました。

 制限というのは、送迎バスが利用できなかったり、居住者の方々との食事が共に出来ないことでした。コロナ感染防止のため、人と接触してはいけない為でした。たまにゆいま~る那須を訪ね、久しぶりに皆さんと交流するのが目的なのに、それでは意味がありません。コロナが本当に恨めしく思いました。

 

 母もそうでした。足の弱い母は外出もままならず、たまの楽しみと言えば、近県に住む妹たち(私にとっては叔母)に家に来てもらい、昔話に花を咲かせることでした。年に1,2回ほどでしたが、そんな時はめったに聞けぬ母の笑い声が響いたものでした。

 そうした2年近いコロナ感染防止の窮屈な日々から、少しでも自分を慰めてくれたのは、家の中での「ひとりカラオケ」でした。パソコンでユーチューブを開き、歌手の唄に合わせて、自分も声を出して唄うのです。習字で例えるならば、お手本の上に半紙を乗せ、それをなぞるやり方です。

 自分が聞いて、いいなと思った歌があります。覚えて自分も唄いたくなってきます。歌手の声を聞き、字幕を見ながら、その後に付いていきます。何回も何回も繰り返します。

 その内に歌詞を暗唱できて、字幕を見ないでも、歌手の声と一緒に唄えるようになります。目をつぶっていると、歌手がどの部分に感情を込めているかが分るようになります。あぁこの歌はこれが言いたかったのだと頷きます。そして歌詞の情景が目に浮かんでくるようになります。それを切っ掛けにいろいろなことが思い出されてきます。

 

 例えば、井沢八郎の唄った「あぁ上野駅」という歌があります。昭和39年に流行りました。昔は、中学校を卒業して集団就職ということで、田舎から都会に働きに行く少年少女が数多いました。「金の卵」ともてはやされたこともあります。しかし家を離れ、慣れない都会生活にどんなに淋しい思いをしたことか、田舎者と笑われないよう、人知れず我慢をしてきたか。そんな人たちへの応援歌でもあります。

 当時私は高校生でした。そうした人たちから較べれば、親元から学校へ通い、なに不自由なく我がままに過ごして来た私です。しかし不平を述べたり、劣等感に悩み、訳のわからない不安にかられもしました。何故もっと青春を謳歌できなかったのか、あんなに幸せな季節はなかったのにと、思い巡らします。親しかった友の顔も浮かんできます。今頃どうしているだろうか‥‥。

 そういえば、田舎から集団就職で都会に働きに来た少年少女の集まりに「若い根っこの会」なんてのがあったな。この唄「あぁ上野駅」の世界にぴったりではないか。そんな諸々のことが浮かんでくるのです。

 

「ひとりカラオケ」で声を出し、歌詞につられて回想を巡らしていると、1時間はあっという間に過ぎていきます。コロナで人と接触するのを制限されている中で、こうした時間を持てたことは良かったです。声を出すということ、それだけでも精神衛生上ずいぶん違います。そして回想することで、誰かと会話しているような気持ちになれます。私の敬愛する作家 五木寛之氏は、「昔を回想することは決して後ろ向きなことでなく、生きるためには大事なことだ」と語っています。回想することで自分を振り返り、みつめ直し、人生にとって何が大切かが再認識できるのだと。

 私には難しいことは分りません。ただ、この「ひとりカラオケ」の時間があることで、コロナ感染防止中の窮屈な空気に縛られることなく、穏やかな気持ちでいられていることは確かです。

 感染者数が減っても、その原因がハッキリ分らないとのことです。原因が分らなければ、その対策も確立できず、いつまた感染者が増えるかも知れません。根も葉もない甘い口車に乗ることなくコロナ感染の動向を見て、これからも自重していきたいと思います。そう、「ひとりカラオケ」を口ずさみながら‥‥。