木もれ陽ベンチ

神奈川県川崎市在住の70代後半男性。栃木県那須町の高齢者住宅「ゆいま~る那須」を契約。90代後半の母の介護があり完全移住ではありません。現在は別荘気分で使用しています。

【第18回】ミニバイクの思い出

■いたずらに乗ってみたら…

 私は小さい頃から近眼で、小学5年生の時には眼鏡をかけていました。長ずるにつれ近眼の度はますます強くなっていきました。勉強もせず、ぐうたらな毎日を送っていたにも拘らずです。いわゆる生まれつきのど近眼なのでした。そして無理に視力をあげようとして、度の強い眼鏡をかけると目が痛くなるのでした。そんな訳で自動車の免許を取ることは諦めていました。

 そんな私が、原動機付自転車(50cc/以下、原付自転車)の免許を取ったのです。昭和55年、33歳の時でした。特に必要があって取得した訳ではありません。弟がそれまで乗っていた原付自転車に代わり、自動車に乗るようになったのです。原付自転車は廃棄処分すると言ったので、その前にちょっといたずらに乗ってみたのです。原付自転車がどんなものか興味があったからです。

 誰も通らない路地や近くの多摩川河川敷で練習しました。すぐに乗れると思っていたのに、ギア付きエンジンなので思いのほか難しいのでした。クラッチ操作の按配加減が上手くいかず、手こずりました。

 初めてエンジンがかかり、ソロソロと走り出した時は嬉しかったです。両手の操作だけで動くというのが、不思議な体験であり快かったです。その当時はミニバイクが流行していた時代でした。宣伝広告のパンフレットには、うら若い女性が颯爽と走っている写真が載っていました。テレビのコマーシャルも盛んに流れていました。とてもカッコイイと思いました。まだヘルメットの着用も義務付けられていない頃の話です。

 

■バイクなら通勤30分

 ちょっと試しに乗った筈なのに、当時のミニバイクブームに煽られたのか、自分も正式に乗ってみたいと思うようになりました。矯正視力の資格は0.5あれば良いのです。その程度なら眼鏡をかけても、目が痛むことはありません。にわか勉強を始めて原付自転車の運転免許証を取得しました。

 私は靴メーカー会社に勤めていて、当時は横浜の日吉にある工場勤務でした。それまでの通勤時間は、電車を利用して1時間ほどかかりました。バイクなら30分で行けます。工場には駐車できる広い敷地があり、バイクや車で通う社員も沢山いました。

 バイク通勤するようになって、朝の出勤時間が30分遅くなりました。ずいぶん朝に余裕が出来ました。サラリーマンにとって、朝の30分はとても貴重な時間です。夜は夜で、会社から退けても寄り道をすることがなくなりました。まっすぐ家に直行です。もちろん飲みに行くこともありません。ずいぶん規則正しくなりました。

 そのように、主に通勤のために利用していました。たまに行楽で乗ったこともありますが、一番の遠乗りでも、自宅のある川崎から鎌倉まで行った程度です。

 昭和62年に異動があり、勤務先が東京の新橋に変わりました。バイク通勤は出来なくなりました。その頃、バイクはよく故障をするようになったので、廃棄処分にしました。私のミニバイク歴は7年間で終わりました。

 しかし、免許更新だけは続けていました。当然、事故や違反を起こすこともありませんから、ゴールド免許です。以後ずっとペーパードライバーという訳です。

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当時乗っていたバイク(HONDA ニュースリリース 1978/2/28 より)

 

那須でなら乗れるかも

 私が「ゆいま~る那須」に入居契約をしてから、ず~っと考えていたことがありました。実際に那須へ移住した時、ミニバイクを利用するかどうかです。サービス付き高齢者向け住宅として送迎車(ゆいま~る号と称しています)は用意されてありますが、時間に制限されず、自由に動き回るにはバイク利用は便利です。

 那須は都会と違って渋滞の心配もなく、村道などを利用してミニバイクでトコトコと、のんびり走れるのではないかと想像していたのです。しかし残念ながらそうした脇道はないのでした。買い物に行くにも役所へ行くにも、国道4号線を通らなければならないのでした。道幅は狭くトラックなどはかなり勢いよく走っています。ミニバイクで走るのは危険に感じました。

 入居している方にも、普段の道路混雑状態なども聞いてみました。やはりミニバイクで走るのは止めた方がいいという意見でした。

 

■青春のひとコマとして

 先月ちょうど免許更新の時期になりました。70歳を過ぎると、高齢者講習を受けないと免許更新が出来ないそうです。教習所に行って手数料を払い、2時間の講習を受けねばなりません。ミニバイクでも講習が必要なのかと問い合わせたら、自動車と同じに必要だと言われました。

 何だかそこまでして免許更新をするのが面倒に感じました。ゆいま~る那須へ行っても、もうミニバイクに乗ることはないでしょう。そこでこれを機に更新するのを止めて、免許証の自主返納をしてきました。代わりに運転経歴証明書をもらいました。長い間迷っていたことが吹っ切れて、これですっきりしました。

  それでもいざ免許証を手放すとなった時は、やはり淋しい気持ちになりました。たった7年間のミニバイク歴でしたが、それでも色々思い出があるのでした。ミニバイクとは言えスポーツタイプだったので、かなりスピードが出るのでした。思い切ってアクセルを吹かし、風を切って走る爽快感を味わえたのも、あの頃です。何事にも消極的で、内気な私にもこんな一面があったのかと、自分で自分に驚いたものです。

 今にして思えば、あれも青春のひとコマだったのです。免許証を手放すことで、そんな思い出からも遠ざかってしまうような気がしたのでした。

 人さまから見たら、何とスケールの小さな思い出かと笑われるでしょう。しかしど近眼で運転免許など諦めていた自分が、たとえ原付でも運転免許証を持てたことは、何か誇らしく嬉しいことなのでした。

 ありがとうミニバイク。そして、さようなら……。