■後継ぎでなかった父
私の父は平成20年3月に89歳で亡くなりました。87歳の時に直腸がんの手術をしましたが、その後2年間は元気に過ごすことが出来ました。亡くなる前の2カ月間は緩和ケア病棟のお世話になりました。ガンが再発していたのです。しかし緩和ケアのおかげで苦しむことなく、眠るような最期でした。従って、老衰で天寿を全うしたと思っています。
父は福島県白河市(当時は郡)の農家に生まれました。当時は後継ぎの長男でない者は、尋常小学校や高等小学校を終えると家を出なければなりませんでした。父は職を転々とした後に東京の大田区蒲田で定職を得て、昭和30年にこの川崎に家を建てました。そして、故郷を出た者として、早くから墓地を用意することを考えていました。市営墓地の応募に運よく当たり、自宅から車で小1時間のところに今の墓地(永代使用権)を確保することが出来ました。
■お墓に対する父の思い
墓石は建てませんでしたが、外柵、カロート(納骨棺)などは、業者に頼み既に設置していました。父が亡くなってから、カロートまで準備されていた事を初めて知り、費用の面も有難たかったのですが、お墓に対する父の思いが伝わるようでした。
実は父が亡くなった時、実際にお墓を建てるかどうか、ちょっと迷った事があるのです。私も弟も結婚をせず子供もいません。せっかくお墓を建てても、いずれは無縁墓になってしまうのです。どうしようかと迷いました。
折も折、その頃「千の風になって」という歌が流行っていました。
『私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています』
確かに、霊魂というものがあるとすれば、それは一カ所に留まっているものでなく、自由自在に宇宙を浮遊しているかも知れません。それならば、お墓を建てるのは最初から止めて、いっそどこかのお寺に永代供養を頼み、ゆくゆくは私も弟もそのお世話になる方が、後々のことを考えたら合理的かも知れない等と思ったものでした。
しかし父はどうだろう。父にしてみれば、まだ少年と言える頃に故郷を離れ、慣れぬ都会で仕事を覚え、一家を構え、そして老いを迎えた。大正生まれの父にとっては、一家のお墓を準備することは、言ってみれば人生の締めくくりのひとつではなかったのではないだろうか。だからこそ、早々と外柵やカロートなども設置しておいたのである。
そう言えば亡くなる数年前まで、墓地に雑草が生い茂ってはいけないと、毎年欠かさず草むしりに出掛け、いつもきれいな状態にしていました。そこの市営墓地は山林を整地したもので、あたりは静寂で広々としており、風が爽やかに吹きわたっている所でした。父はこの場所がとても気に入っていました。
そうだ、自分や弟はいい。せめて父には、そして母にもお墓に入って貰おう。いや、ここにお墓を建てるのが、息子である自分たちの当然の務めだと思い直しました。
霊魂は自由自在に宇宙を駆け回っているかも知れませんが、遺された私たちが手を合わせる時、何かを祈る時、やはりその道標として、お仏壇やお墓は必要と思います。そして手を合わせたその刹那、霊魂はその目の前に来て下さるのではないでしょうか。祈りとは、霊魂の自由さとは、そういうものだと私は思います。
(当時はまだ「ゆいま~る」の存在を知りませんでした。後年「ゆいま~る那須」に入居契約をして、一般社団法人コミュニティネットワーク協会が開設した合葬墓のあることを知りました。ゆくゆくはそこのお世話になることを考えています)。
■お坊さん探し
私の家ではいわゆる菩提寺というのがありません。父が亡くなった時には、葬儀社の紹介するお坊さんに読経をしてもらいました。そのあと49日法要の案内が、そのお寺から来たのですが、示されたお布施料が高額なのに驚きました。どうしようかと迷っている時に、ある人から別のお坊さんを紹介してもらいました。お寺さんとのつながりは持たず、法要の時だけ読経を頼む形式です。そのお布施料は、それなりに納得できるような額でした。法要をお布施の金額だけで判断するのも変な話ですが、菩提寺を持たない私どもでは、それもひとつの判断材料と考えました。3回忌も7回忌もそのお坊さんに頼みました。
早いもので、今年13回忌を迎えました。最近ではネットでお坊さんを頼む方法があるのです。お布施料も定額で安価です。実際に利用した方の感想などを読むと、ビジネスライクに徹し無駄がなくて良いという声もありました。そこでカタログや資料を取り寄せてみました。内容も明確で分かりやすく、手続きも簡単そうでした。宗教行為を商品として扱うのはいかがなものか、という意見もあります。しかしお寺とのつながりのない者やお布施料の不明確さに疑問を持つ者にとっては、こうした方法も意味のあることだと思いました。そこで今回はネットで申し込みをしました。
■大切なのは故人を偲ぶ気持ち
2月29日(土)に13回忌法要を行いました。ネットで頼んだお坊さんに墓地まで来てもらいました。終わった後の感想は、正直言って「がっかり」というものでした。
お坊さんは約束した時間に20分も遅れ、詫びの言葉ひとつありませんでした。顔色も悪く元気がない様子で、読経も10分程で終わり、法話もなかったのです。本当に形だけのもので、有難みというのが感じられませんでした。こんなことなら、今まで来てもらったお坊さんに頼むのだったと後悔しました。
ネットのお坊さん全てがそうではないのでしょう。たまたまこの日のお坊さんがそういう人だったということです。しかし、やはりこういうものは気持ちが大事なので、金額が多少張っても、少しでも縁のあるお坊さんに頼んだ方が良かったのではないかと、済んでしまったことをあれこれと悔やむのでした。
家に戻り、遅い昼食を取っている時でした。玄関のベルが鳴り、宅急便が来ました。親戚の方が美しい蘭の花を届けてくれたのです。今回は13回忌法要ということで、特に親戚の方に知らせることもしませんでしたが、その方は覚えていて下さったのでした。
部屋に飾ると、家の中は清楚な明るさに包まれました。今までの沈んでいた気持ちが一遍に晴れる思いでした。『大切なのは故人を偲ぶ気持ちなのだ。それさえ忘れなければ、そのほかのことは些細なことに過ぎないではないか』
そんな風に思い直すことで、今日の13回忌法要を穏やかに振り返ることができました。