■叔父の葬式で福島へ
前回のブログで、先月初旬に私の母が10日間ほど入院したことを書きました。実はその間に、福島県郡山市に住んでいた、母の弟(私にとっては叔父)が亡くなったのです。長らく肺がんを治療していましたが、他臓器に転移していたのです。そう長くはないだろうとは知らされていました。享年91歳でした。母に伝えると、すでに心準備はしていたようで、入院中なので葬儀に列席できないのを残念がっていました。
母は9人きょうだいです。その内母を含めた6人は近県に住んでいます。そして皆高齢で、足が弱っていたり視力が衰えたりと、身体のどこかに不自由を抱えていて葬儀に行けません。話し合って、私と横浜に住む従兄弟が、代表で郡山に行きました。
亡くなった叔父は、9人きょうだいの中での初めての男子でした。先に女子が3人生まれて、やっと男子が誕生したということで、大変喜ばれそして大事にされたそうです。ちなみに母は三女で、生まれた時には「また女か」とがっかりされたと、何かの折に苦笑しながら話したことがありました。
叔父は家業の経師屋を継がず、鉄道学校に進学しました。その学費捻出のため、母は尋常高等小学校を中途退学したとのことです。親に学校は諦めるようにと言われた時、母はそれが当然のこととして、何の不満も持たず素直に従ったそうです。そういう時代なのでした。
叔父は旧国鉄(現在のJR東日本)に就職し、新幹線開通に当たっては、その準備に毎日郡山から福島まで通ったそうです。とても新し物好きで、80歳を過ぎてからスマホの操作を覚え、最近までラインで孫娘と交信をしていたとのことです。そんな話を叔父の長男(私にとっては従兄弟)から聞きました。
この従兄弟に会うのは40年振りです。彼が大学を卒業し、社員研修を受ける時に、3日間ほど川崎のわが家に寝泊りしたことがあり、それ以来の再会でした。顔もまるで覚えていません。それでも喪主としての彼に会い、二言三言話している内に、すぐに馴染むものがありました。
■血縁が持つ不思議さ
母の9人きょうだいの内、男子は亡くなった叔父と末っ子の二人だけです。末っ子の叔父は、福島県白河で家業の経師屋を継ぎました。昭和バブル時代には住宅建築数も多く、他県からの注文などもあって大層繁盛したそうです。しかしだんだんと洋風建物が多くなり、襖や障子の需要が減って店は畳んでしまいました。
私が幼年の頃、夏休みの間はその白河で過ごしたものでした。叔父は私の相手をしてよく遊んでくれました。実は、私はこの叔父の年齢をよく知らないのでした。今回の葬儀で一緒になった時、改めて聞いてみると、77歳で私より5つ年上なだけでした。自分が幼い頃にはずいぶん年長のように思っていました。しかし77歳と72歳の今では、そんなに年の差が感じられません。
この叔父とも、ちょっと言葉を交わしただけで、昔の親しみが湧いてきました。幼い時や青年期に会った親戚の人とは、自然と通じる何かがあるようです。血縁の持つ不思議さでしょうか。
■緊急事態宣言が発令されて
葬儀のあった時は、まだ新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が発令されていませんでした。まさかこんな騒ぎになるとは思いもしませんでした。外出自粛や休業要請のため、宿泊業や飲食業に携わっている方は諸に影響を受けています。もちろん他の業種でも仕事を失ったり、逆に忙殺されている方もおられます。医療従事者の方は正に感染の危険と隣り合わせです。みんなの協力で、早く終息するのを願うばかりです。
叔父の住んでいた郡山は新白河に近いです。新幹線の新白河駅はゆいま~る那須へ行くのに、いつも利用しています。私は5月の連休にはゆいま~る那須へ行く予定でした。4、5日滞在して居住者の方々と交流するのを楽しみにしていました。
それが緊急事態宣言が発令されて駄目になってしまいました。かと言って他の何処かへ行くことも出来ません。自宅で大人しくしていなければならないのです。なんとも残念な事です。
■今年も咲いた牡丹の花
そんな味気ない思いを慰めてくれたのは、庭に咲いた牡丹の花でした。13年前に父が秋の市民祭りで苗を買って植えたものです。父は翌年3月に亡くなり、この花を見ることはありませんでした。思いのほか大輪で、上品な甘い香りを放ちます。
年数が経って茎の背が伸び、花の数も少なくなってきました。もう駄目かなと思っていたら、3年前に下の方から枝が出てきました。そして以前よりは幾分小振りではありますが、花が咲くようになりました。
この牡丹の花を見るたびに、父を思い出します。89歳で亡くなった父は、晩年は何処にも行かず、猫の額ほどの庭に出て、草花や盆栽をいじっていました。好きな煙草を吸いながら庭を眺め、それなりに楽しそうでした。
そうだ、こんなご時世には、父の真似をして庭弄りでもしてみようか‥‥。しかし植木の知識など何もない私です。せめて雑草でもむしって、伸びすぎた木の枝でも切ることにします。慣れない手付きで作業する私を見たら、父は何と言うでしょうか。
無口で冗談のひとつも言わなかった父です。何も言わず、煙草をくわえながら、荒れた庭を見ているかも知れません。父さん、今年も牡丹が咲きました。