木もれ陽ベンチ

神奈川県川崎市在住の70代後半男性。栃木県那須町の高齢者住宅「ゆいま~る那須」を契約。90代後半の母の介護があり完全移住ではありません。現在は別荘気分で使用しています。

【第11回】 星野富弘さんの詩画展に行ってきました

星野富弘さんとお母さんに思いを寄せて

 10月26日の土曜日でした。朝刊を広げざっと目を通していたら、「筆くわえ 詩や絵創作」というタイトルが飛び込んできました。星野富弘さん(73)の詩画展が開かれているという記事です。

 星野さんは24歳の時、中学校の体育教師となってわずか2か月後、クラブ活動指導中に頚髄損傷を負いました。首から下の運動機能を失いましたが、口に筆をくわえて詩や絵、随筆を書いています。私は星野さんの大ファンです。

 詩画展会場は戸塚駅の近くとのこと。さらに記事を読むと、24日には星野さん本人が会場に来て、お話をされたとありました。ぜひお顔を拝見したかったのに残念です。せめて詩画展だけでも、と会場に行きました。

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会場の入り口にて

 みどり市立富弘美術館(群馬県)に保管されている65点が展示されているとのこと。とても口に筆をくわえて書いたとは思えぬほど美しい文字と絵です。本で見るのと違い、実物に接するとやはり新鮮です。

 会場にはビデオを見せるコーナーもあり、星野さんがお話している映像が見られました。その中で、入院中の星野さんと母親とのことを語っていました。星野さんの手記『愛、深き淵より。』(学習研究社)にも書かれていたことですが、次のような内容です。

 

 星野さんは頚髄損傷を負い、首から下が動きません。入院中もお母さんがずっと付き添っていました。入院して3年が過ぎた頃の話です。

 治療や回復のあてのない毎日に、星野さんはもどかしく、いらだち、不安がつのっていきました。同室の人たちは次々に退院したり転院したりして、何か自分ひとりが取り残されたような気持ちになってきました。

 病院側も、星野さんの残存機能を使って、何かリハビリをとも考えるのですが、少しでも体位を起こすと、呼吸や心臓に影響し、原因不明の熱が出たりしてしまい、これといった方策がみつからないのでした。そうしたある日、ちょっとしたことで、やり場のない苛立ちが爆発してしまいました。

 星野さんはいつものように、母親に食事を口に入れてもらっていました。何かの加減で母親の手元がふるえ、スプーンの汁が星野さんの顔にこぼれてしまいました。わずかなことですが、カッとなり、そのとたん積もり積もっていたイライラがいっきに爆発してしまったのです。その時の場面を、星野さんは次のように書いています。

 

「『チキショウ。もう食わねぇ。くそばばあ』

 散らかったご飯粒をひろい集めながら、母は泣いていた。『こんなに一生懸命やっているのに、くそばばあなんて言われるんだから‥‥』 

『うるせえ。おれなんかどうなったっていいんだ。産んでくれなけりゃよかったんだ。チキショウ!!』 

 母は涙を拭きながら、自分の食事に出ていき、しばらく帰ってこなかった。一度開いてしまったイライラの出口は、容易に閉じることができず、母がやっと帰ってきても、トゲのある言葉で母にあたった。母もよほど口惜しかったのか、しばらく口をきかなかった。」

 

 つらい場面です。読んでいて涙が出ます。今の星野さんにとって、甘えられるのは、八つ当たりができるのは、母親だけなのです。いけない、悪い、自分は間違っていると思っても、やり場のない思いを吐き出せるところは、母親しかいないのです。

 どこからかハエが飛んできました。まるで星野さんの手が動かないのを知っているかのように、星野さんの顔の周りを飛び交い、たかるのでした。

 黙りこくっていた母親が、とうとうたまりかねてハエたたきを手にしました。星野さんの足の方で一匹叩いたようです。すると、また別のハエが星野さんの顔の周りに飛び交いました。そして顔に止まりました。

 母親はハエたたきを構えましたが、気を取り直して、ハエたたきを左手に持ち替え、右手で息子の顔をそっと抑えたのでした。星野さんはこう書き綴っています。

 

「もちろんハエは逃げてしまったが、ハエの止まっていた頬に、母のしめった手のぬくもりが残った。ザラついていたけれど、やわらかな母の手だった。母の感触は、私の頬からいつしか体じゅうに広がっていった。

 あれほどの言葉を浴びせた私を、母はきっと憎んだのに違いない。しかしその憎しみの中でも、母は私の顔につきまとうハエを見過ごしていられなかったばかりか、ハエたたきで私の顔を叩くこともできなかった。母の顔にご飯粒を吐きかけた私の、顔のハエを母は手でそっと掴まえようとした。

 私は思った。これが母なんだと。私を産んでくれた、たったひとりの母なんだと思った。この母なくして、私は生きられないのだ……」

 

 このように星野さんの手記は、きれいごとやうわべだけを書くのでなく、自分の恥ずかしいことや弱さも正直に述べているのです。教えられることが沢山あります。そういう星野さんを私は尊敬しています。

 その手記の最後には次のような詩が添えられていました。

 

「母の手は

菊の花に似ている

かたく握りしめ

それでいてやわらかな

母の手は

菊の花に似ている」

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■久しぶりに浸りたい富弘ワールド

 続くときは不思議なもので、翌27日の新聞にも星野さんのことが載っていました。富弘美術館で、星野さんの母親をテーマにした企画展「かあちゃん」が開かれているという案内でした。

 同館では以前からその企画展を打診してきたが、「自分も母も照れてしまう」と辞退されていたそうです。

 昨年7月、母の知野(ともの)さんが97歳で亡くなりました。1年が過ぎ、気持ちに整理が付いたとして開催を決心されたとのことです。

 私は長い間星野さんの詩画や随筆から遠ざかっていました。以前は夢中になり、星野さんの本を集めたものです。先週の読書週間に続き、これを機会に久しぶりに富弘ワールドに浸ろうと思っています。

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発売が待ち遠しかった星野さんの本