木もれ陽ベンチ

神奈川県川崎市在住の70代後半男性。栃木県那須町の高齢者住宅「ゆいま~る那須」を契約。90代後半の母の介護があり完全移住ではありません。現在は別荘気分で使用しています。

【第7回】 この手の痛みを忘れずに

■母の週1回の楽しみ

 私の母は先月18日に93歳の誕生日を迎えました。身体的には年相応に衰えがきています。日中はベッドで休んでいることが多いです。それでも日課として、洗濯物をたたんだり、夕食の下拵えに台所へ立つなど、家の中で出来る範囲のことはしています。

 そんな母にとって、週に1回買い物で外出することは、外の空気に触れて気分転換になるようで、毎週楽しみにしています。ちょっと体の具合が悪かったり、気分がすぐれなくても、無理をしてでも行きたがります。

 そして買い物から帰ってくると、家を出る前の不調が嘘のように薄らいでいたりもします。高齢になっても、体を動かしたり適度な刺激がいかに大切であるかが分ります。

 

 週に1回の買い物では、近くのスーパーで食材や日用品などを調達をします。足の弱い母は外出の時は車椅子使用です。私の弟が運転する車で行き、店内では車椅子の上から、買い物かごに入れるものをあれこれ指図します。

 そのように、足の弱い母でも一旦車に乗ってしまえば、あとは楽です。外出する時に一番大変なのは、玄関から門までの行き来なのです。厄介なことに、わが家は玄関から門までに3段ほどの階段があります。たった3段ですが、足の不自由な母にとってはひと苦労なのです。母を真ん中にして、前後を私と弟が支えて登り降りします。

 実は4カ月ほど前のことですが、この僅か3段の階段で、私は両手にケガをしてしまったのです。

 

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わずか3段の階段なれど……

■夜も眠れないほどの痛み

 その日もスーパーに買い物に行く時でした。母を真ん中に、前側を弟が後側を私が支えて、階段手すりまで母を誘導しました。もう少しで手すりに手が掛かろうという時、母は急によろけてしまいました。

 本来なら後側に控えている私が、母をぐっと抑えて事なきを得る筈でした。この時はどうした事か、私は母を支え切れず、母と一緒に階段手前で倒れてしまったのです。幸い母は、私に覆い被さる格好になったので無事でした。しかし私は両手を激しく床に打ち、暫くは動けないほどでした。

 すぐに病院へ行ってレントゲンを撮りました。手の骨に異常はなかったのですが、その夜は痛くて眠れませんでした。暫くは箸を使うことも出来ず、スプーンで食事をしました。湯や水に手が触れると飛び上がるほど痛く、風呂にも入れない日が続きました。

 

■「ゆいま~る」の助け合うシステムがあれば

 ケガをした当初2日間は家事がまるで出来ませんでした。そのため弟には会社を休んでもらいました。こんな時すぐに手助けしてくれる人が傍にいたことは、実に有り難いことでした。もし弟がいなかったなら、日常生活にずいぶん支障をきたしたと思います。

 そんな時改めて、「ゆいま~る那須」で取り組んでいる「ま~る券対価提供」のことを思いました。今回の私のように、何かの事情で自分が出来ないことを、ゆいま~る居住者同士で助け合うシステムです。

 例えば掃除や洗濯、食堂から居室までの食事配下膳、ゴミ捨て、買い物の代行などです。手助けを提供してもらった対価として、その方へ「ま~る券」を渡します。その「ま~る券」を使って食堂で食事をしたり、森林ノ牧場で買い物が出来るのです。

 こうした助け合いは、今自分が住んでいる町内ではあり得ません。やれ個人情報保護法だとか、隣人の私生活には立ち入らないという空気があるからです。「コミュニティゆいま~る」の良さは、そうした居住者同士で助け合いが出来るところにもあるのです。

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ハウス内通貨「ま~る券」

 

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ま~る券対価登録表

持病の腰痛まで悪化

 手のケガは、単に手だけでなく、体の別な部位にも影響しました。私は腰部脊柱管狭窄症の持病があります。夜寝る時に仰向けになると腰が痛むのです。従って横向きに寝ます。その時、腕の位置が微妙な役割をして、腰に負担がかからないようにしているようです。手をケガしてからは、どうも横向きになった時の感じが以前と違うのです。どうしても手を庇ってしまい、今までの横向きの寝方が出来ないのでした。すると腰にも負担がかかり、腰痛が出てきてしまいました。

 体というものはひとつ悪い処ができると、それがまた別の具合悪さを呼ぶようです。70歳を過ぎてから、そうしたことが身にしみて感じるようになりました。

 

■「慣れ」による気持ちの緩み

 私が手にケガをして不自由でいた時、横浜に住んでいる叔母(母の妹)R子さん(87歳)が、脳溢血で倒れたという報せを受けました。夕食後、意識が朦朧としているのを家人が気づき、救急車で病院に運ばれたそうです。

 倒れてからふた月経った頃にお見舞いに行きましたが、ほとんど寝たきりで顔に表情がない状態でした。

 母には近県に住んでいる妹たちが4人います。当然みな高齢です。体にも何らかの支障を抱えています。足が弱い、目がよく見えない、糖尿病などです。その中でただ一人、R子さんだけは元気なのでした。旅行、飲み会、詩吟などと忙しく行動し、いつも姉妹たちに羨ましがられていました。それが突然の脳溢血なのでした。どれほどつらいか、寝たきりで顔に表情が出せないだけに、なおさら可哀想です。
 聞くところによると、R子さんは高血圧の持病があった様です。薬をもらっていたのに、きちんと飲んでいなかったのです。引き出しの中には薬が溜まっていたそうです。自分が元気だということに安心しきっていたのだと思います。高血圧は自覚症状がないだけに恐いのです。普段これといった支障がなく、健康であることに慣れきってしまっていたのでしょう。

 実は、この「慣れ」というのが問題です。私が手にケガをしたのも、今思い返せば、「慣れ」が原因でした。階段手すりまで母を誘導している時、急によろけた母を支え切れなかったのは、気持ちに緩みがあったからです。万が一という危機感に欠け、形だけ母の後側を支えていたのです。

 毎回おなじようにして、いつも何でもなかったので、つい「慣れ」による気持ちの緩みが出てしまったのです。何のために母の後側に私が付いていたのか、全く意味がありませんでした。ケガはそうした怠慢の結果なのです。

 以後、母の後ろに控えている時は、気を抜かないようにしています。緊張感を持って構えるようにしています。

 

 ケガによる手の状態も、4カ月たった今は8割方回復してきました。「薄紙を剥ぐように」という言葉がありますが、正にそれです。痛みから痺れ、そしてこわばり感へと、少しずつ少しずつ手の感覚と動きが元通りになってきました。

 今度もし母がよろけても、しっかりと支えるだけの力が戻りました。有り難いことです。そして再び「慣れ」による気の緩みが出ないように、あの時の手の痛みをいつまでも忘れないようにしなければと思っています。

 ちなみにR子さんも、今では車椅子で移動が出来、家族との会話も交わせるまでに回復したとのことでした。私も血圧が高く、定期的に病院に通っています。毎日血圧を測って状態を把握し、薬を飲むこと。これもまた忘れることのないようにしなければいけません。