木もれ陽ベンチ

神奈川県川崎市在住の70代後半男性。栃木県那須町の高齢者住宅「ゆいま~る那須」を契約。90代後半の母の介護があり完全移住ではありません。現在は別荘気分で使用しています。

【第58回】探し物はどこですか

 私のところにもいよいよ届きました。新型コロナウイルスワクチンの4回目接種券。幸い徒歩5分くらいの町医院でワクチン接種が出来き、3回目からはそこにお願いしてきました。

 さっそく申し込もうと、パソコンで予約サイトへ。指定されたログインIDとパスワードを打ち込めばいいのです。もう手馴れた作業です。すぐに登録できる筈なのに何故か「ログインIDまたはパスワードに誤りがあります」というエラー表示が出てしまいました。

 改めて打ち直してみました。けれど駄目でした。もう1度やり直してみました。やはりつながりません。一体何故? 訳が分りません。

 

 ログインIDは書面の指示番号通りに、パスワードは生年月日8桁を間違いなく打ち込んでいるのにです。これはもうサイトでの予約は諦めて、予約コールセンターでの予約に切り替えるしかないと思いました。しかし電話での予約は待たされることが多く面倒です。

 何気なく引き出しの中を覗いてみたら、3回目の時の接種手続書が出てきました。念のために開いてみました。するとパスワードを変更していたことが分りました。これではいくら試みてもつながらない訳です。

 自分で変更しておいて、全く失念していたのです。未だに何故変更したのか思い出せません。たまたま3回目の書類が出てきたからいいようなものです。忘れっぽくなったものです。そう言えば、こうして失念していることが、最近ずいぶん多くなりました。

 

 こういうことがありました。今の世の中、スマホやパソコンに頼っている部分が多々あります。そこには大事な情報が入力されています。しかしスマホやパソコンは機器です。いつなんどき故障しないとも限りません。私はそんな時のために、必要最小限の情報を紙にメモし保管しています。もし故障してもそれを頼りに慌てないで済むと思ったからです。

 さてそのメモした紙なのですが、ちょっと気になるところがあって確認しようと思いました。ところがそのメモが見つからないのです。確かに此処に仕舞っておいた筈だと思うところに、無いのです。部屋のどこかに置き忘れたというのなら、まだ安心です。これが外出した時に失くし、誰かの手に渡っていたとしたら大変です。慌てて色々なところを探しまくりました。

 結局は出てきたのですが、これも自分では何故そんなところにあるのか、全く覚えがないのです。きっと置き場所を変えたのでしょう。その時は、「今度ここに仕舞うことにしたのだ」と思ったに違いないのです。しかし置き場所を新しく変えると、そのこと自体を忘れてしまう有様なのです。情けないことです。

 

 また、こんなこともありました。

 私は昼の40分間位を、ユーチューブを利用してひとりカラオケをしています。歌手の歌声に合わせて、自分も唄うのです。習字で言うなら、お手本の上に紙をのせて、その通りになぞるやり方です。いつか覚えたいなと思っていた歌も、そうすることで曲がりなりにも唄えられる様になりました。何よりも声を出すことでストレス発散になります。もう1年以上続いています。

 ある日ちょっと思いついたのですが、一体自分の唄っている様はどんな状態なのだろう、どんな表情をしているのだろうと知りたくなりました。それにはビデオカメラで撮ってみるのが早道です。しばらく使っていなかったビデオカメラを取り出して、撮ってみました。

 ふだん、自分の姿を自分で見るということはありません。せめて鏡で顔を見るくらいです。ビデオで自分の姿を見ることは、客観的に第三者の目で自分を見るようなものです。

 結果は、「ガッカリ」でした。そこには老いた男が口をパクパク開けている滑稽な姿があるだけでした。額は撥ね上がり頭のてっぺんも薄くなっていました。あまり見たくない自分の姿です。でもこれが、いつも人さまが見ている私の実像なのです。客観的というのはそういうことなのです。

 

 それはさておき、ここでも自分が失念していたことがありました。このビデオカメラには記録媒体としてSDカードが2枚挿入できるようになっています。Aカードの容量が満タンになると、自動的にBカードに記録が移るようになっているのです。それだけ長く録画ができるという訳です。

 失念したと言うのは、この2枚ある筈のSDカードが1枚しか残っていなかったのです。あと1枚はどうしたのか、まるで覚えがありません。もしかしたら録画したのを見た後、ビデオデッキに挿入したままなのかと探してみましたが、ありません。

 SDカードは極小な精密媒体なので、それだけを単品でどこかに仕舞うことはありえません。それに付随する何かの機器とセットにしておく筈です。思い当たるところを探してみましたが、やはり無いのです。

 

 そのことがずいぶん気になっていました。別にSDカードが惜しいからではありません。どこに置いたかを忘れる自分が気になるのでした。こんな筈ではない。自分の記憶力はまだ確かな筈だという思いがあるからでした。

 しかし、こう幾つも失念することが続くと、「またか」と思うようになってきました。これ程忘れっぽくなってきたのだから、仕方ないではないか。探すのも時間の無駄だ。きっといつかポロッと出てくるに違いない。もう探すことはやめよう。そんな気持ちが出てきたのです。だんだんと物忘れに対する自覚が弱くなってきた感じです。

 これは気持ちの上では大変楽です。くよくよ悩まなくて済むからです。と同時にとても危ないことだとも思います。すっかり諦めてしまって、思い出そうとする努力をしなくなってしまいます。これはいけません。こういうところからボケが始まるのかも知れません。

 要は、いつまでもいじいじ悩むことはせず、しかし思い出そうと努力する気持ちは失わない。その辺のバランスをうまく取り、探し物が出てくるのを気長に待つ。そんな風な気の持ちようがいいのではないでしょうか。