木もれ陽ベンチ

神奈川県川崎市在住の70代後半男性。栃木県那須町の高齢者住宅「ゆいま~る那須」を契約。90代後半の母の介護があり完全移住ではありません。現在は別荘気分で使用しています。

【第56回】持つべきものは友人

 その内に、その内にと言いながら、中々会えなかったTさんとようやく会うことが出来ました。Tさんと私は、昭和41年4月、共に高卒で靴メーカーに就職した同期生です。現在75歳でいわゆる団塊世代のはしりです。

 私たちが入社した頃は、世の中まさに高度成長に向ってまっしぐらの時代でした。その年は130人が入社しました。皆新卒です。あの頃はグループ会社を含めても、300人程の規模の企業だったと思います。それが130人も新入社員を入れたのです。今ではとても信じられないことです。中卒と大卒が各々30人程。高卒が70人程ではなかったでしょうか。

 その代わり、社員の出入りも激しい時代でした。5年の間に、半分は辞めていったのではないでしょうか。求人はいくらでもありました。皆少しでも給料のいいところへ、条件のいいところへと移っていきました。

 

 そうした中で、Tさんと私は40年以上、各々所属する部署は違いましたが、同期の友として働いてきました。今では二人とも年金生活者です。こうして年金だけで暮らしていけるのも、ひとつの会社に長く勤められたおかげだと思っています。

 Tさんと私では、性格がずいぶん違います。ひと言でいうと、Tさんは外交的で私は内向的です。Tさんはテレビなどにも出演したことがあります。番組名は忘れましたが、素人のど自慢のような番組に出たのです。司会者が高島忠夫氏でした。歌った後、審査員から講評をしてもらう時、Tさんは、「近江俊郎さんに講評してもらいたい」と、名指しで頼んだのです。これにはスタジオにいた人たちが驚きました。近江俊郎さんも、「長年審査員をしましたが、指名されたのは初めてです」と笑っていました。またゲートボール大会のテレビ試合にも出たりしました。

 

 会社には労働組合がありました。現在と違って、労働組合も活気がありました。春闘ストライキなどということも、労働者の権利として当然の如く出来た時代です。昇給額が10,000円を超えた年もありました。そんな中、Tさんは早くから労働組合活動をしていました。管理職に就く前には、労働組合執行委員長に10年間程就任しました。

 

 一方私はと言うと、そうした外交的なTさんとはまるで違っていました。私はいつも何かに悩んでいました。仕事に対しても熱心ではありませんでした。これは自分の仕事ではない、自分のやりたい仕事はこんな事ではないと悶々としていました。では、どんな仕事をしたいのかと問われても、それにも答えられないのです。周りから見ると暗い人間に映ったことでしょう。

 そうして、入社して6年も経ってから、夜間大学に行きました。私は小説や詩が好きだったので、国文学科に入りました。昼間はサラリーマンで、夜は学校へ。帰宅は大抵午後10時半頃でした。今から考えると、よく身体がもったなと思いますが、それが若さというものだったのでしょう。また自分の好きなことを学べることで、ストレス発散になったのも確かです。

 今思うといい時代でした。会社も、仕事とは何の関係ない分野の学校に行くことに対し、何の規制もせず、残業も強制されませんでした。同僚も、さも当たり前のように対処してくれました。仕事内容が製造工場での資材管理ということもよかったのです。これがお客さま相手の仕事では難しかったのではないかと思います。

 

 私は向学心があって夜間大学に行ったのではないのです。Tさんがテレビ出演したり、組合活動に参加したのと同じように、自分がそれに向いていたからに過ぎないのです。ひとりで本を読んだり、ある作家の歩いてきた道を、あれこれ模索することが好きなのです。当然、人と接するより独りで居る時が多くなります。外で動き回るより、室内に居ることが多いです。でも少しも寂しいとか退屈ということがありません。むしろ心が安まるのです。まさに内向人間の標本みたいなものです。

 

 さて、そんな二人が久しぶりに会って、どんな会話を交わしたか。

Tさんは今、生まれ故郷の埼玉県加須市に住んでいます。加須市は、原発事故で退去させられた福島県双葉町の町民を、旧騎西高校の校舎を避難所として受け入れて、一躍有名になったところです。

 10年以上前に、4つの町が合併して、加須市はかなり大きな市になったそうです。そして行政の一端として、観光に力を入れています。そこで加須市の歴史や名所、特産物などを知ってもらおうと市民講座が開催されました。

 Tさんはさっそくその講座に参加しました。そして、その中の有志が集まり、加須街中ガイド会というボランティアグループが出来ました。やがて市の委託を受けて、現在は加須観光案内所の所長をしています。

 加須市は5月の節句鯉のぼりの産地として有名です。また手打ちうどんにも独特な味があるとのことです。土地の一つひとつを調べると、今まで知らなかった名所名物がたくさんあるそうです。それを観光化して、加須市を訪れる人に案内をするのが目的で、思ったより忙しいと、しかし嬉しそうに話していました。

 

 「昔話に花が咲く」の例えどおり、ふたりの話はいつしか会社時代のことに遡りました。会社はいまどんな状況か、同僚のこと、今だから話せるあれこれ等‥‥。一杯飲みながらの2時間はあっという間に過ぎました。

 作家五木寛之氏は、思い出話は決して後ろ向きなことではなく、それを語ることで改めて当時のことを思い返し、認識を新たにすることだと仰っていました。本当にその通りだと思います。昔を語ることで、当時は分らなかったことや、別の意味があったことを、懐かしさをもって振り返ることが出来ました。この再会を通して、持つべきものは友人ということを、改めて思うのでありました。