木もれ陽ベンチ

神奈川県川崎市在住の70代後半男性。栃木県那須町の高齢者住宅「ゆいま~る那須」を契約。90代後半の母の介護があり完全移住ではありません。現在は別荘気分で使用しています。

【第65回】年が明けて‥‥

 早いものであと2日もすれば2月になります。今年の冬は例年になく寒く感じられ(年のせいでしょうか)、春が来るのが待ち遠しいです。それにしてもだんだん年賀状の数が減っていくのが淋しいです。亡くなった方、喪中の人、高齢になったので年賀状のやり取りはしないと決めたりすることなどです。

 私は年賀状のやり取りはできるだけ続けたいと思っています。高齢になると人との交流も少なくなります。実際に顔を合わすのは限られた人だけです。だからこそ、せめて年に1回の年賀状くらいは続けたいのです。別段変わったことが書いていなくても、それが届くだけで、「あぁ健在なのだな、せめて年賀状を出せるくらいの元気はあるんだな」と、確認ができるのです。

 私は年賀挨拶にその年の十二支にちなんだ駄洒落句を添えるのを常としています。今年はこんな具合でした。

  ウ ウイルスも

  サ さすがに音を上げ

  ギ ギブアップ

  ド どうだ今年の

  シ 新種ワクチン!

 本当に「いい加減にしろ!」と言いたくなる新型コロナウイルスです。政府は感染症法上の位置付けを、5月には「5類」に引き下げると報道していますが、果たしてどうなることでしょうか。安請け合いはできるものではありません。

 そういえば年賀状にはお年玉の抽選番号が付いています。毎年切手シールが1枚ほどは当たっていました。しかし今年は1枚も当たりませんでした。年賀状の発売数が減ってきているとのことで、当たり数も大分制限しているようです。渋くなってきたものです。これも時代の流れというものでしょうか。

 

 所得税の確定申告も既に済ませました。申告をすると税金が還付されるのです。小額ではありますが、ちょっとした小遣い銭になり、一杯やれるのです。何よりも無駄な税金を取り戻したようで、少し気分がいいです。今ではパソコンで入力すれば自動計算され、プリンターで印字もできるので便利です。医療費控除なども以前のように領収書を添付する必要もなくなりました。領収書はかなりかさ張って面倒なものでした。今年も還付金があり、一杯やるのが楽しみです。

 こうした作業では、パソコンやスマートフォンは本当に便利です。現在ではパソコンやスマートフォンを使わない生活など考えられないでしょう。それだけに困るのは故障した時です。先日もスマートフォンに不具合が出ました。ちょっと床に落としてしまったのですが、「SIMカードがありません」という表示が出て、電話機能が使えなくなってしまいました。

 すぐに携帯会社に電話(固定電話で)をして修理を頼みました。先約が一杯だとかで中々予約が取れませんでした。しかし電話もできないと大変困るだろうと、無理に日程に入れてくれました。いろいろ煩雑なことが多く、故障のことを考えるとうんざりします。

 パソコンも今、Win11にいつでも更新出来ますという案内が来ていますが、無視しています。もう新しい機能は欲しくありません。最低限必要なことが出来て、故障がなければそれで充分です。

 

 冒頭で、年のせいか今年の冬は例年になく寒く感じられると記しましたが、私は昨年の12月で75歳になりました。さっそく健康保険が後期高齢者医療制度に移行するという案内が来ました。後期高齢者になると、医療機関にかかるときの自己負担割合が、殆どの人が1割となります。ただし令和4年10月1日からは、一定の収入があると2割になる人も出ると言われていました。私の場合、その2割組に入ってしまいました。公的年金収入だけなら該当しなかったのですが、たまたま個人年金の収入があったものですから、2割組になってしまったのです。

 間の悪いことに、世帯一緒ということで母親も2割負担となってしまいました。1割だったのが2割になるということは、今までの倍額になるということです。負担がずいぶん違います。悪い条件にぶつかってしまいました。ただ個人年金はもう終了してしまったので、来年以降からは1割負担になります。それまでは余り医療機関にかからぬようにしたいものであります。

 

 そんな中で嬉しいニュースがありました。新聞に久田恵さんの小説「ここが終の住処かもね」の発刊案内が載っていたのです。私はすぐに書店で買い求めました。久田恵さんはゆいま~る那須に住んで5年が経ち、今年は6年目に入るとのこと。そこからこの小説の構想が生まれたそうです。

 ゆいま~る那須を思わせるサ高住を舞台に、ファンタジー溢れる物語が展開していきます。ラストシーンでは、ちょっと切なくそして心温かな読後感を味わえます。私は5月の連休にはゆいま~る那須に行く予定です。その時はぜひ作者久田恵さんにサインをしてもらおうと、今から楽しみにしています。

    もうすぐサイン本になります

 

【第64回】厄介な性分

 このブログの第61回で、私の母親の両脚に水ぶくれや内出血が出来てしまい、包帯を巻いていることを述べました。早いものであれから3カ月が経ちました。毎晩シャワーを浴びた後に薬を付けた甲斐があり、内出血の方は大分腫れが引いてきました。水ぶくれの方は皮が破れ、肉がえぐれた状態だったのが、少しずつ肉が盛り上がってきたところです。やれやれこの分だと来春には包帯が取れるかも知れないと安堵していました。

 ところが今月の初め、今度は台所の床に倒れてしまい、左腕の皮がむける怪我をしてしまったのです。こちらも薬を塗って包帯を巻きました。キズが浅かったこともあり、今カサブタになってきたところです。

 

 問題は母親が床に倒れたという状況です。原因を探り対策を練らねばなりません。96歳の母は足が弱いこともあり、かなり前から手すりや小さな歩行器を使って、食卓やトイレ位までは自分で行っていました。時には体調が悪く、自分だけで行くのを不安がる時もあります。そんな時は傍に付いて、万一倒れそうになった時にはすぐ支えるようにすると、安心感も手伝ってか、結局は人手を借りずに行くことが出来るのでした。

 床に倒れたその日も、別に具合が悪かったわけでもなく、日中は手すりや小さな歩行器を使って、食卓やトイレに行っていたのです。

 

 実は、その倒れたという時間帯が夜中の1時頃なのです。これはその日が何か「特別な日」というのでなく、母はいつもその時間帯まで起きていて、ようやくベッドに着くのを常としている人なのでした。「年寄りは早く寝るものだ、せめて息子である私たちが起きている内にはベッドに着くように」と何度言っても耳を貸さない母なのでした。 夜の12時頃ともなると、さすがに息子の私も就寝します。しかし母親は洗面所にいてなにやらゴソゴソしているのです。そして最終のトイレに行き、ベッドに向かおうというのが1時頃なのです。床に倒れたのは、そんな時間帯なのでした。

 

 2階にいる私は物音に気づき、母親が何か叫んでいるので1階に下りていきました。初めはただ床に倒れただけだと思ったのですが(以前にも何度かありましたので)、倒れるのを必死に支えようとして、何かに腕を擦ってしまったのです。

 しかしこんなことがあっても、母は1時まで起きているのを止めようとはしません。もう長い間染み付いた生活のリズムなのでしょう。本当に損な性分としか言いようがありません。母は日中の殆どをベッドに横たわっているので、睡眠不足ということはありません。むしろ夜中になると益々目が覚めてくるのかも知れません。

 

 さて倒れた原因と対策ですが、原因の方はよく分かりません。誰だって何かのはずみで足をからませたり、躓いてしまうことがあります。たまたまということもあるでしょう。では次に対策です。原因が分らないのに対策というのも変ですが、少しでも善い策があればと思いました。

 一番いいのは母親が早く寝ることです。息子の私たちが起きて傍に居れば、それとなく注意したり手助けが出来ます。しかしこれは先ほど言ったような訳で諦めました。

 その腕のキズを診てもらうために、いつもの在宅医療の先生に来てもらった時のことです。先生はもっといい歩行器がある筈だと、ケアマネジャーに連絡してくれました。ケアマネジャーは早速歩行器の見本を取り寄せてくれました。今まで使っているチャチなものでなく、かなり大きなしっかりしたものでした。

 

 しかし母はひと目見て怖気ついてしまいました。今までのは背の低い母が、前かがみになって手すりや歩行器を操りながら、一歩一歩前に進むというものでした。今度のは歩行器だけを使い、全身をそれに預けて進むというものです。大きいので前かがみではなく、ちょっと背筋を伸ばして行くという感じでした。もう何十年も今の歩行器と手すりを使っての母です。ガラッと違うタイプのやり方はとても無理だと、私も思いました。

 母はケアマネジャーや看護士さんの前で、今までのやり方を実際にやってみせました。その動き方を見て、皆さんも納得しました。ただケアマネジャーさんは、もうひとつ新たに手すりを付けた方がよいと指摘してくれました。成る程そう言われてみると、確かに付けた方がよい箇所がありました。こうして違う目で、プロの目で見ると分ることがあるのですね。早速ホームセンターに行き、適当なのを見つけて付けました。母も以前よりしっかりと掴まれると言っています。

 

 これで一件落着かと思い勝ちですが、もうひとつ問題がありました。母はそうして1時頃に自分のベッドに潜り込むのですが、掛け布団を上手に掛けることが出来ません。タオルケットの上に電気毛布を乗せ、さらに毛布や掛け布団を被せるのですが、それを身体に合わせることが容易ではないのです。どうしてもすき間や捲れてしまう部分があるのです。

 なにしろ冬の寒さです。少しでもすき間があると暖まりません。特に首周りのところはしっかりと布団を被せたいです。仕方ないので、母がベッドに潜り込んだ1時頃、私は折角暖まった布団から出て、1階の母のところに行き、隙間のないように布団を整えるのです。

 

 考えてみると去年もその前の年も、夜中の1時頃自分のベッドに潜り込む母の、冬の寒さはあったわけです。しかし私は掛け布団の掛け具合に一向気づきませんでした。それでも母は風邪を引くこともなくやり過ごしていました。条件は今年も同じ筈です。

 しかし1度気づいてしまったからには、私はそうせずにはいられないのです。これも私の損な性分と言えるでしょう。ようやく体温で暖まり馴染んだ布団から出るのは辛いです。しかしそうしないと私は安眠できないのです。

 誠に性分というものは厄介なものであります。

【第63回】 夕食のおかず

 なんと美味しいのでしょう。なんと旨いのでしょう!おかずなんか要りません。お新香と味噌汁があれば充分です。さらに焼き海苔や秋刀魚などを添えれば、これはもう贅沢というものです。日本人に生まれて良かった。日本人バンザイ!‥‥‥と、思わず独りごちしてしまいました。

 そうです、新米です。あの炊きたてのホカホカ新米の季節になりました。お米にはコシヒカリのようにモチモチ感があるのと、ササニシキのようにサッパリ感がするのとあるようですが、私はサッパリ感の方が好きです。ただササニシキの方は生産が減っているそうです。寒さに弱く、栽培に手間がかかることが理由とのこと。

 それにしても何故新米は美味しいのでしょうか。味を言い表すことはとても難しいですが、ひとつは香りが良いことだと思います。口に持って来たときに漂う新鮮な風味、そして歯ざわりではないでしょうか。只今わが家でもその食感を味わっている最中です。

 

 さて、いくら美味しいからと言って、お新香と味噌汁だけで済ませるわけにはいきません。やはり副食は大事です。毎夕晩酌をする私は、ビールを飲みながらおかずを食べてしまい、ごはんはお新香と味噌汁で済ませています。おかずによってビールの味も変わってきますし、何より栄養バランスの点で副食は大切に考えねばなりません。その副食ですが、実はわが家では最近になって大きく変わったことがありました。自分たちで作るのでなく夕食宅配業者と契約して、出来合いのものを取るようにしたのです。

 

 理由は2つあります。家で作るおかずの種類がマンネリ化したのに飽きてきたことです。わが家では1週間ごとのおかずの種類が決まっていました。月曜日はこれ、火曜日はあれと言った具合に、7日間でひと回りするのです。これは日曜日に1週間分の食材をまとめ買いするために、どうしても決まったものを購入するためでした。

 2つ目は母親が台所仕事をしなくなった為です。96歳の母は、今までは夕方になると台所に立って、糠みそ漬けや野菜・果物の皮むきなどをしていました。足が弱いので日中の殆どはベッドに横になっていましたが、夕方の台所仕事だけは続けていました。煮たり焼いたりする、動きの必要な作業は出来ませんでしたが、じっと台所に立って、包丁を握ることは出来ていたのです。少しでもそうすることは体のためにも良いことなので、無理のない範囲でしてきました。

 しかしこの秋頃から、そうした作業が辛くなってきたようです。少しでもベッドに横たわっていたいらしいのです。

 

 そんなことで、以前から夕食宅配に興味を持っていましたので、この機会に契約して、出来合いものを取るようにしたのです。取るのはおかずだけです。ごはんは自分たちで炊きます。味噌汁も糠みそ漬けも自分たちで作ります。

 出来合いのおかずはバラエティに富んでいます。毎回7種類ほどのおかずが用意されますが、個人でこれほど凝ったものを作ろうとしたら手間が大変です。月曜日から金曜日の5日間利用し、土日は今まで通り自分たちで作ります。近所でも同じ様に利用している家族がいます。「味付けが同じで、やがて飽きるよ」と言われました。しかし2カ月経った今でも、一向に飽きません。それだけわが家は単純な味付けだったということなのでしょうか。

        夕食宅配のおかず

 

 夕食宅配にして良かったことは幾つかあります。

1.食材を買う手間がない。従って冷蔵庫に余裕が出来ました。

2.料理する手間がいらない。生ゴミの量も減りました。

3.食後の後片付けが楽になった。

4.経費の面でも経済的になった。わが家は3人(母、私、弟)ですが、夕食宅配おかずは2人分を取ります。それを3人で分けます。母親は小食なので、3人分取ると余ってしまうからです。

 確かに新鮮さや自分好みに合ったものを求めるなら、満足という訳にはいきません。それぞれ利点や欠点はあるものです。当分はこのまま夕食宅配のお世話になろうと考えています。そいうわけで、食生活の面で大きく変わったことを述べました。

 

 さて今年もあとひと月余りとなりました。恒例ですと、年末年始にはゆいま~る那須に行く私です。しかし今回は違います。実は今月の3日~6日にかけてゆいま~る那須に行ってきたのです。友人がゆいま~る那須を見学したいのと、近くにある藤城清治美術館に行くのが目的で、友人と一緒に例年になくこの時期に行きました。

 紅葉がいい具合になっていて、秋の季節のゆいま~る那須を初めて見ました。そんなわけでこの年末年始はわが家で過ごそうと考えています。わが家でお正月を迎えるのは9年ぶりになります。つまり、ゆいま~る那須と居住契約をしてから、それだけ歳月が経ったということです。誠に光陰矢の如しであります。

 

      紅葉のゆいまーる那須

      居室の窓から見る紅葉

【第62回】 高価でも買わねばならぬ必需品

 もうすっかり秋です。ついこの間までの暑さが嘘のように、朝晩は冷え込みます。新型コロナウイルスの感染率も、一時期に比べずいぶん低くなりました。そうした中、政府はマイナンバーカードへの登録をするとポイントがもらえると、盛んに宣伝しています。最高額20,000円分。マイナンバーカードへ乗り気でなかった人も、そうした動きに合わせ次第に登録者数が増えているとのこと。

 私は初めてマイナンバーカードのことを聞いた時、何だかいい気持ちがしませんでした。まるで人間を番号付けして管理するような感じがしたからです。しかし、マイナンバーカードが健康保険証としても使えると聞いて、これはいいなと思い、昨年中に登録しました。

 現在川崎に住んでいる私は、いずれゆいま~る那須に移ります。その時に住所変更などが必要となります。健康保険証の手続きもしなければなりません。そんな時いつ病院に行かねばならないとも限りません。運悪く切り替え途中時に重なるかも知れません。そんなことでゴタゴタするよりも、マイナンバーカードを利用して済むならば面倒がないと思ったからです。

 

 その時点でポイントをもらえる条件は出来たのですが、どうやってもらっていいか分らず放置していました。それから1年ほど経ったわけですが、ついこの前、今後は健康保険証をマイナンバーカードに移行するという発表がありました。いろいろ問題点はありますが、1年前に私が思ったようなことが、より具体的になったという感じです。

 そんなことで行政の方もマイナンバーカード登録に、より力を入れてきました。ポイントの貰い方などについても個々に説明をする場所を設けました。私も折角登録しているのだから、この際ポイントを受取るために説明を聞きにいきました。ただ、公的給付金などを受け取る銀行口座の登録は躊躇しました。そうした紐付けをすることで預金額などを管理されたくないと思ったからです。

 

 マイナンバーカード登録で5,000円、健康保険証登録で7,500円のポイントをゲットしました。公的給付金などを受け取る銀行口座を登録すればさらに7,500円ゲットできます。ちょっと惜しい気がしました。何かよい手立てはないものか。その時ふと思い出したのは、ほとんど利用していないM銀行の口座を1つ持っていることでした。そうだ、このM銀行口座を公的給付金などを受け取る銀行口座として登録すればよいではないか。預金額も微々たるもので、例え管理されたとしてもどうということはありません。という訳でこれで7,500円、〆て20,000円分のポイントをゲットしました。

 しかし政府は何故こんなにもマイナンバーカード普及に力を入れているのか疑問です。将来は運転免許証も健康保険証もマイナンバーカードに移行すると言っています。もしマイナンバーカードを紛失した時、自分を証明する手立てはどうなるのでしょうか。今までは運転免許証や健康保険証がその役割をしてきたのです。そんな余計な心配もしてしまいました。

 

 話が変わりますが、最近電化製品が値上がりしています。いやそれだけでなく、諸々の物価が上がっています。ただ電化製品は金額も高いだけにより感じるのかも知れません。

 実は最近、ガス衣類乾燥機を買い替えたのです。今使っているのは23年前に初めて購入したものです。当時73歳だった母は、だんだん足腰が弱ってきていました。我が家は南側が隣家と真近に接近していて、日当たりが良くありません。洗濯をして干してもよく乾かないのです。仕方がないので2階のベランダに干していました。洗濯ものを持って1階から2階へと往復します。そうした動きが73歳の母にはつらくなってきたのです。

 そこでガス衣類乾燥機を買ったのです。洗濯機である程度乾燥した衣類を放り込むと、1時間弱で完全に乾燥します。わざわざ洗濯ものを2階のベランダに持ち込む必要もないし、物干し竿に吊るす手間も要りません。さらに良いのは雨天に関係なく、天気具合の心配をする必要もないことです。とても重宝に使っていました。23年間の中で故障して修理をしたのは3回ほどです。とても長持ちしました。

 

 しかしさすがに23年間というと、くたびれてきました。日常手入れをするフィルターの部品も壊れかかっています。本体もいつ故障するか分らない状態です。修理するにしても部品がありません。またガスの燃費もよくないです。もう買い替えた方がいいと、見積もりを取りました。

 実は6年前にも一度見積もりを取ったことがあるのです。それと比較してみて驚きました。乾燥機本体が35,000円ほど値上がりしていました。さらに乾燥機を置く専用台が別途30,000円ほどかかると言われました。現在使用している専用台とは仕様が変わったので再利用できないとのことです。6年前には再利用が出来たのにです。その他の部品も合わせると、計75,000円も値上げとなっていました。ずいぶん差がついたものです。なぜ6年前に購入しなかったのかと後悔しました。

 諸物価の値上げの上に、ガス衣類乾燥機は特定のメーカーしか製造しておらず、競争相手もいないために割高になっているそうです。しかしあと何年待ったら値下がりするという目途もありません。今更2階のベランダに洗濯物を干すやり方に戻ることも出来ません。我が家にとってガス衣類乾燥機は正に生活必需品なのです。

 23年間も使えた旧機に感謝しつつ、新機購入しました。今度のも長期間使えますようにと願うばかりです。

【第61回】 椅子の脚に包帯を  

 私の母は先月96歳になりました。以前(80歳頃)から足が弱く、自力で歩くのがままなりません。それでも手すりや物に掴まって、なんとかトイレには行けます。椅子に座って台所の流し台に向かい、糠みそ漬けや果物の皮むきくらいは出来ます。何よりも認知症の心配がなく、会話や意思の疎通がはかられるのが有り難いです。

 唯さすがに疲れやすく、日中のほとんどはベッドで横になっています。眠っているわけではなく、声をかけるとすぐに返事が返ります。目新しいことやこれと言った楽しみはありませんが、穏やかで静かな時間を過ごしています。

 

 そんな母ですが、2カ月ほど前のこと、左足に5cm大の水ぶくれが出来ました。ちょうど踝の少し上辺りです。袋状になった水ぶくれの中で、体液がブヨブヨ浮いているのが見えます。いきなりこんな大きな水ぶくれが出来たので驚きました。すぐに在宅診療のN先生に来てもらいました。母は定期的に月2回の在宅診療を受けていますが、何かあったらいつでも(夜中も)来てもらえるのです。

「どこかにぶつけましたか?」と問われましたが、そんな覚えのない母です。特に痛みもありません。とにかく応急処置をしてもらいました。そして3日も経つと水ぶくれの皮が破れてしまいました。N先生はすぐに大きな病院に連絡して、詳しく診てもらえるよう手配してくれました。5cm大の皮がやぶれたところは、かなり深くえぐれてしまいました。褥瘡や潰瘍と同じ状態です。幸い痛みは薬で抑えられています。肉を盛り上げる薬を塗付し、完全治癒するには半年ほどかかると言われました。それでも日常の生活は出来ているのでホッとしました。

 

 ところが、それからしばらくすると、今度は右足の脛にやはり5cm大の脹らみが出来たのです。すぐにN先生に診てもらいました。内出血でした。今度もどこかにぶつけた様子もないのです。こちらは特に治療方法はなく、内出血が自然に引くまで包帯を巻いておくだけです。これもかなり日数がかかると言われました。

 一番気がかりなのは原因が分らないことです。左右の足の大体同じような箇所に、何故こんな水ぶくれや内出血が出来たのか。本当に不思議でした。医師の所見では、体の内部からの発症ではないということです。それならば外的な問題がある筈です。そんな思いで母の行動を見てみると、ある事に気がつきました。

 

 母は居間で食事やテレビを見る時に、椅子に座っています。座っていますが、ただじっとしている訳ではありません。立ったり座ったりしています。特に食事をする時にそうです。最近食事をする時に立って食べることが多くなったのです。指の力が弱ったのか、ごはんやおかずをこぼしやすくなったのです。それが床に落ちてしまいます。それが嫌で、立って食べるのです。

 立つことで体全体が前に向き、例えこぼしてもテーブルの上だけで済むからです。また背が低いので、立った方がテーブルに対してちょうどいい高さになるようです。そんな訳で、椅子から立ったり座ったりすることが多くなりました。

 どうもその時に足を椅子の脚に擦っているようなのでした。それはほんの微かな摩擦かも知れません。しかし何かのはずみで強く当たったりするのではないでしょうか。またはその微かな摩擦の積み重ねが水ぶくれや内出血の要因になったのかも知れません。

 そうした目で椅子の脚を調べてみました。すると足の傷と同じ位置に、椅子の脚に出っ張りがあるのに気づきました。おそらくそれが原因ではないかと推察します。立ったり座ったりしている内に、その出っ張り部分と足が、擦れあっていたに違いありません。

 

 立ったり座ったりする回数が多いのが良くないのです。座って食事の出来るよう、母の背丈に合った椅子を探してみました。しかし特に背の低い人向け用というのがないのです。高さを調整出来るタイプはあります。ところがそうしたものはかなり重いのです。母が自分の手で自由に動かせる、軽い椅子でなくてはいけません。そのために今は籐製を使用しているのです。

 座面に厚手の座布団を敷くことも考えました。すると今度は、座るときにひと苦労なのです。座面が高くなると、お尻が届きにくいのです。

 椅子ひとつでも、老齢で不自由な身に叶ったものというのは中々難しいものです。でも何か対処せねばなりません。そこで考えたのが、椅子の脚に包帯を巻くことでした。脚の出っ張った部分に包帯をぐるぐる巻いて、凸凹がないよう平坦にするのです。母の足が椅子の脚に擦っても滑らかになるようにするのです。

 今は母の両足に包帯を巻いていますが、治癒して包帯が取れたら、今度は椅子に包帯を巻きます。何だか可笑しな話ですが、早くそんな日が来るのを待っています。

【第60回】居室で献杯

 このお盆には、恒例のごとくゆいま~る那須に行ってきました。4泊5日です。新型コロナウイルス感染者が相変わらず増え続けている中でしたが、交通機関も平生と変わりなく運行され、また行動規制もなく安堵しました。

 実はゆいま~る那須へ行く前に、ちょっと立ち寄った所がありました。いやこの表現は正しくありません。どうしても行かねばならない所があったのです。岩手県北上市です。55年来交友のあった友人Sさんが、今年1月に亡くなったのです。葬儀には参列できませんでした。なので、せめて墓前にお線香でも供えたいと思い、ご遺族の奥さんに連絡してお参りに行きました。

 Sさんのことは、第53回「1枚のレコード」の中で述べましたが、私にとっては兄貴のような存在の人でした。

 

 北上は東京から新幹線で約3時間の距離です。車中さすがに長く感じました。久しぶりに駅弁を買いました。いちど食べてみたいと思っていた深川弁当です。車窓の田園風景を見ながら‥‥という積りでしたが、新幹線が早いせいでしょうか、そうした情緒とは何か違う気分でした。それでもあさりご飯は美味しかったです。

 北上駅から車で15分位のところに菩提寺がありました。いざ車から降りて、墓前に向かおうとした時です。いきなり雨が降ってきました。慌てて傘を広げなければならないほどの激しさでした。お線香も傘を差してもらいながら立てました。

 そしてお参りが済み、車に乗った途端、雨はふっと止んでしまいました。不思議なひと時でした。世に言う涙雨とはこういうことを言うのでしょうか。

 菩提寺のすぐ近くにSさんの家がありました。Sさんは民芸品を集めるのが趣味でした。自分では酒を飲まないのに、とっくりや杯を集めたり、珍しい織物などを求めていたようです。思い出の品として何かを貰ってほしいと言われました。私は遠慮なく、酒器とマフラー、そして吉永小百合の写真集を頂きました。Sさんは小百合さんの表情がとても魅力的だと言っておられたのです。

 

 今回のゆいま~る那須では本の整理をしました。本棚とチェストを注文しておいて、滞在中に居室まで届けるよう手配しておいたのです。2013年に居住契約をしてから、川崎の自宅にある本を少しずつ宅急便などで運んできました。それをダンボールの中に仕舞ったままにしてあったのです。9年の間にはかなりの冊数になっていました。今ではどこに何の本があるのか分からない状態です。

 部屋にはまだ家具や調度品もなく、殺風景なのです。少しは部屋らしい趣にしたいと思い、本棚とチェストを購入したのです。本好きの者にとって、気に入った本を本棚に並べる作業は実に楽しいものです。ひと通り棚に並べてみて、改めてその配置を確認する。するといろいろ考えが広がり、この種類の本はこっち側にすべきだとか、作者が同じものはやはり一カ所にまとめたいとか、あぁでもない、こうでもないと、時間が経つのを忘れるほどでした。

 厚みがあって重い本はできるだけ下の段に置くようにしました。上の段は少し空けておいて、本棚がびっしりと密にならないように気をつけました。地震があった時に倒れないようにとの用心からです。重心を下に置くようにしたのです。

 

 本棚とチェストを置いてみると、少しは部屋らしくなってきました。あとは食器棚と洋服ダンス、テレビの置き台などを揃えようと思っています。台所、洗面所、風呂場などを含めた居室の広さが33平米なので、出来るだけ物を置かずにしたいと思っています。これから揃える家具の大きさや、どんな配置にしたものかと、あれこれ想像を巡らすのも楽しい時間でした。

 一段落したところで、Sさんに頂いた形見の酒器でお酒を飲んでみました。数年前にこのゆいま~る那須のことをSさんに話したことがありました。Sさんにゲストルームへ泊まってもらい、自分が将来こうした所で生活するということを知ってほしかったのですが、Sさんは病身で来ることが出来ませんでした。

 頂いた白磁の杯は佐世保三川内焼(みかわちやき)というものでした。杯の中に花模様が添えてある凝った焼き物です。自分では一滴も飲まないけれど、観賞用として求めたのだと思います。

 本棚に吉永小百合さんの写真集を置くと、明るい感じになりました。私もテレビドラマ「夢千代日記」の彼女に魅せられたひとりです。Sさんとの55年来の交友を偲びながら、ひとり静かに献杯をしました。

 

     思い出に頂いた三川内焼の杯

【第59回】久しぶりの芝居見物

 ようやく下降線をたどるかにみえた新型コロナウイルス感染ですが、7月になってから急激に増加しました。1日の感染者が東京都では3万5千人超え、私が住む神奈川県では1万5千人超えです。昨年のこの時期と比較すると、10倍ほどの感染者数です。数字だけを比較すると恐ろしさを覚えます(さらに驚いたことには、7月28日には東京都で4万人超えという発表がありました) 。

 そうした中でも緊急事態宣言が発令されることもなく、ちょっとした用事や買い物で街や駅中に出ると、人とぶつかるほどの混雑さです。ウイルスの性質や感染対策慣れということもあるのかも知れません。

 しかし用心に越したことはありません。私も3年ぶりに開催されようとした、昔の仲間たちとの飲み会も諦めざるを得ませんでした。3年ぶりということで、みなさんとても楽しみにしていたのに残念なことでした。このように行動の範囲が、まただんだんと狭くなるのではないかと心配です。

 

 実は、まさか感染者がこんなに急増するとは思っていなかった今月の2日、久しぶりに芝居を観に行くことが出来たのです。それから間もなく感染者が急増しました。あと1週間も後だったら観劇を諦めたかも知れないと思うと、何とも言えない気持ちです。

 この芝居は、題して「藤山寛美33回忌追善 喜劇特別公演」というものでした。私がこの公演を知ったのは、K信用金庫の会報誌を見たからです。厚生年金をこのK信用金庫口座から受取っている私は、会員の特典として旅行や観劇、落語招待、誕生日祝いなどのサービスを受けています。地域に根ざした信用金庫は、規模は小さいけれど、大手銀行には無いきめ細かいサービスがあります。今回も割引料金で観劇出来ました。

 

 5月の会報誌で、この芝居公演が7月にあることを知り、藤山寛美の大ファンである私はすぐに申し込みました。今年33回忌というのにも、改めて驚きました。私は残念ながら藤山寛美の芝居を生で観たことがないのです。藤山寛美が活躍していた頃は、会社の仕事が忙しくて気持ちに余裕がなく、芝居どころではないといった状態なのでした。

 そんなサラリーマン生活を送った私ですが、いよいよ定年間近になった時、会社が早期退職者を募集したのです。私は少し考えることがあってそれに応じました。その時に労働組合から慰労金が出ました。長い勤めを労い、旅行でもどうぞという意味合いのものです。私は旅行ではなく、何か記念になるものをと考えました。

 

 丁度その頃、「藤山寛美十八番箱」という松竹新喜劇のDVDが発売されていました。以前2,3度テレビで観た藤山寛美の芝居がとても面白かったので、これはいい記念になると思い購入しました。藤山寛美の芝居は思ったとおり面白くて人情味があり、見終わっても余韻が残る舞台作品でした。

 藤山寛美という芸人は、役になり切って様々な人間を演じます。本当に芝居が好きで、244カ月連続無休公演を行ったり、その日の演目を客席からのリクエストにして上演するなど、アイデアに優れていたとのことです。生の舞台を観なかったことが改めて悔やまれました。

 今回の「藤山寛美33回忌追善 喜劇特別公演」は、そうした藤山寛美の遺志を継ぐものとして企画されたのです。場所は新橋演舞場でした。ほぼ満席の状態で、さすが人気のほどが伺えました。

 

 それにしても新橋演舞場界隈の景観はとても洗練されていると思いました。道路は広く、立ち並ぶビルは立派な建物ばかりです。芝居を見終わっても、すぐに帰る気になれず、辺りを散策しました。歌舞伎座もすぐ近くにあります。

 そういえば株式会社コミュニティネットは、以前このすぐ近くに事務所があったのです。私がまだゆいま~る那須との入居契約をする前、いろいろ情報を知りたくて、説明会などに参加するため行ったことがあるのです。歌舞伎座に余りにも近い所にあったので、とても印象に残りました。

 あれから10年以上が経ちました。あの頃はテレビでゆいま~る那須のことが度々紹介されていました。そんな当時のことを思い出し、暫し歌舞伎座前の通りに立っておりました。