木もれ陽ベンチ

神奈川県川崎市在住の70代後半男性。栃木県那須町の高齢者住宅「ゆいま~る那須」を契約。90代後半の母の介護があり完全移住ではありません。現在は別荘気分で使用しています。

【第13回】舞岡公園の詩碑を訪ねて

■「里山を残したい」という女性の思い

 第11回目のブログで、星野富弘さんの詩画展を見に行ったことを述べました。開催場所は横浜市戸塚区の文化センターでした。星野さんの詩画展は1979年に故郷・群馬県で初めて展覧会が開催されて以降、全国各地で開かれ、訪れた人々に大きな共感と感動を生んでいます。 

 この横浜市戸塚区で詩画展が開かれたことについては、舞岡公園(1993年開園)の設立と大きな関係があるということを、「戸塚区 星野富弘 花の詩画展を開く会」のチラシやネット情報で知りました。要約すると次のようなことです。

 

「戸塚区舞岡町に広がる『舞岡公園』は、色とりどりの野花が溢れ、水が湧き、豊かな自然の恵みが末長く続くことを願って開設された、昔ながらの谷戸の地形を生かした公園です。

 当初ここには近代的な公園が設立される計画がありましたが、昔ながらの田園風景を残したいという地元有志が集まって、市民参加の里山保全運動が起きました。そこに有志の代表となってリードした一人の女性がいます。彼女は里山を後世に残したい一心で、どうしたら市民の協力を得られるのか、何度も挫折しそうになった時、偶然戸塚駅の書店で星野富弘さんの詩『まむし草の実』に出会ったのです。

 その詩は、『懸命に花を咲かせ、命をつむぎ、やがて枯れゆく。与えられた生を粛粛と全うする植物の力強さ』を讃えたものでした。この詩に心を動かされた彼女の行動は、多くの市民の共感を呼び、里山公園設立へと舵を向けていく一助となったのでした。

 やがて完成した舞岡公園は、まるで星野富弘さんの詩画の世界をそのまま表しているかのように、野草や自然に溢れ、人々の癒しと憩いの場となりました。

 挫折しそうになった時、勇気を与えてくれた星野富弘さんの詩への感謝。その思いを何かの形に残したい。地元住民は星野富弘さんに直談判し了承を得て、世界でひとつしかない星野富弘さんの詩碑が、舞岡公園に設置(1996年)されました。星野さんが育った故郷を思わせる、小谷戸の里のすぐ近くにひっそりと建っています」

 

 こうした経緯から、ぜひ詩碑のある戸塚で星野富弘さんの詩画展を開きたいと、「戸塚区 星野富弘 花の詩画展を開く会」が設けられ、今回ようやく実現したということなのでした。

 

■素朴な自然に囲まれた日本の原風景

 11月中旬、私は舞岡公園に行ってみました。何よりも星野富弘さんの詩碑がどんなものなのか見たかったのです。JR戸塚駅からバスで15分ほどのところに舞岡公園はありました。

 公園の入口を通って少し歩くと、里山の風景が広がってきました。田んぼがあり、案山子が並び、稲掛けが干してありました。池にはススキの穂が揺れていました。鳥の群れを撮影するのでしょうか、三脚に大型のカメラを取り付け、空の一点を見つめているグループがいました。茅葺き屋根の古民家があり、自由に入れるようになっていました。囲炉裏や竈があり、実際に火がおこされていて湯気が立っていました。

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稲を守る案山子たち

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懐かしい稲掛

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温かい竈の火

 90分ほど散策しましたが、まだ半分しか周れません。かなりの広さがあります。当初の計画だったという近代的な公園とは、どのようなものだったのでしょうか。例えば日比谷公園のようものでしょうか。日比谷公園は確かに洗練された美しい公園です。

 しかしそこには田んぼや案山子、稲掛けはありません。茅葺き屋根の古民家や囲炉裏、竈を見ることも出来ません。人工的な美しさはあっても、素朴な自然に囲まれた日本の原風景に触れることは出来ません。

 余談ですが、私がサ高住ゆいま~る那須を選んだのも、自然に囲まれた環境で過ごしたかったからです。利便性や進歩性を追うよりも、静かで穏やかに暮らせる生活の方が、自分に合っていると思ったからです。

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茅葺の古民家

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静かな池

■ひっそりと建っている詩碑

 舞岡公園、よくぞこうした里山公園を残してくれたものだと思います。地元有志のおかげです。そして挫けそうになった時、勇気を与えてくれたのは、星野富弘さんの詩です。詩の力というのはすごいものがあります。

 そうそう肝心の詩碑です。遊歩道の傍らに苔むしてこぢんまりと建っていました。築23年という歳月のせいでしょうか、彫られた詩の文字もかすれてよく読めません。地味なので、気づかずにそのまま通り過ぎてしまう人もいました。私もチラシを読んでいなかったなら、何の石かわからなかったに違いありません。それほど目立たない詩碑でした。

 

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星野富弘さんの詩碑

 私は思いました。星野さんのことです。詩碑の設置を初めて相談された時、自分には過分のことと辞退したのではないでしょうか。更に懇願され、それでは余り目立たないようにと、渋々承諾して今の形になったのかも知れません。

 勿論これは私の勝手な想像です。実情は全く違うかも知れません。しかしそんなやり取りがあったと思うくらい、実に質素な詩碑でした。

 チラシにあった、「星野さんが育った故郷を思わせる小谷戸の里のすぐ近くにひっそりと建っています」という表現がぴったりです。

 碑に刻まれた「まむし草の実」の詩は、彫られた文字がかすれていてよく読めません。目をこらして見ると、次のような詩でした。

 

ただひとつのために生き
ただひとつのために
枯れてゆく草よ
そんなふうに生きても
おまえは誰も
傷つけなかった
富弘

 

 秋の日はつるべ落としです。弱い陽ざしを受けていた案山子たちも、いつしか夕闇に影をひそめていきました。鳥の一群が空を舞っていました。ねぐらに帰っていくのでしょう。♪山のお寺の鐘が鳴~る そんな唄が聞こえてきそうな舞岡公園を後にしました。

 

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